夢色

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火月 神の気まぐれ よろずメモ。

<食べて、食べて、歩いて、笑って~長崎旅行3日目・・・の、その1。>

2016-03-23 | Travel

大分と日が開いてしまいました・・・。

今日は一日長崎観光&卓袱料理という第2のメインイベントデー
 朝ごはんをいっぱいで 元気をいっぱい!
・・・って今朝もまたもや お腹いっぱい・・・(後悔)
長崎のお味噌汁、やや甘めのお味噌で アオサをたっぷり入れて 気に入りました
あとは、角煮まんじゅうもお試し。

部屋から、こんな変わったものが対岸に見えてて気になってたんだけど・・・ 
どうやら倉庫?の屋根を稲佐山から見るとこんな風に見えるようにアレンジしてる?らしい。。。
面白い( ´艸`)

せっかくレンタカー付きだったものの、長崎市内の運転がちょっと怖くて駐車場も分からないし、ちんちん電車にオラオラやられると困るので(←大阪でも経験済み。笑)観光タクシーをお願いしました
行きたいところをいっぱい言って、適当にアレンジしてもらったんだけど、初めは目を白黒させてた運転手さん(笑)
普通は大体お任せだもんね

ホテルを出てからすぐに、途中にある福山雅治さんのご実家の前を通りました。
止まってくれたけど、まったく まちゃファンじゃない私なので、ふーんってなってたら、あれ?ってなってた(笑)
ごめん、それほど興味なかった(笑)
でも、どの運転手さんもホテルの方も まちゃの話をしてて、とっても長崎の方には感謝されてるみたいでした。
必ず帰ってくるし、MCなどで長崎の話もしてくれるし、本当に感謝してるって喜んでました。
地元に愛されるって、すごい良い事だなぁ。


そしてまずは、浦上天主堂へ。
 途中にも、原爆の爆風で吹き飛び 落下した鐘楼が道の横で保存されています。
長崎市内はいろいろなところに、原爆の跡がひっそりとそのままで残されています。
日本人として、忘れてはいけないこと。

 残された一部たち。 爆心地から500mに在ったため、ほぼ全壊となったそうです。
大きいけど、素朴な雰囲気の教会でした。
 大浦天主堂での「日本の信徒発見」150周年記念の碑。
豊臣~徳川幕府時代にかけて長らく迫害されてきたキリスト教ですが、浦上にも密かに信仰を守り続けてきた 隠れキリシタンが居ました。
しかし海外では、日本におけるキリスト教はもうすでに滅んだと思われていたそうです。
鎖国が解かれた後、在留外国人のために大浦天主堂が建てられましたが、そこに見物客に紛れてこっそりとサンタ・マリアに会いに来た隠れキリシタンの一団がありました。
プチジャン神父にそっと近づき、「私の胸は、あなたの胸と同じ」「サンタマリアの御像はどこですか?」と小声で聞いたそうです。
それが、日本ではもう居なくなったと思われていた信徒発見の瞬間となりました。 

こちらには、被爆したマリア像が保管されています。
だがしかし・・・小声で。
実は、現在聖堂にある被爆マリア像はレプリカ。
実際に被爆したマリア様は、奥に信者さんだけが入ることのできるマリア様の聖堂にいらっしゃいます。
後でわかったのですが、運転手さんがキリスト教の方だったため、そっと覗かせていただけました。
中では信者さんがお祈りされていたため すぐに出ましたが、レプリカよりももっともっと優しく慈愛に満ちたお顔をしていて、全然怖くなかった。
ですが、本来は入れる場所ではないので、勝手に入るコトはしないでくださいね。。。

 朝一番だったので人が少なく、かわいいニャンコがお見送りまでしてくれましたバイバイ


次に、私が絶対行きたかったのが「山王神社」です。
こちらには、被爆した大楠と、一本足鳥居が残されています。
 参道から見上げる一本足鳥居。一の鳥居は事故で倒壊してしまっています。
爆風によって微妙に捩れた状態で佇んでます。 
 柱に刻まれた名前。爆心地側が熱風で溶けてしまってました。
吹き飛ばされた左半分は、境内に向かい途中に横たわってます。   
 被爆の大楠。樹齢5~600年と言われてます。
 鳥居を潜ったあたりから、静かな空気で満ちてる。
悲しみもつらさも何もない、ただ在るという空気。
被爆した時は枯れ木同様だった大楠は、2年程して新芽を芽吹き、今はどっしりとした姿を見せてくれています。

爆風で巻き上げられた無数の大小の石が幹にある空洞に入り込み、今もなお残ったままです。 
大楠の横にある階段を登ると、3mくらいのところにある空洞。  
 中に見える、たくさんの石。
この石は2006年、2回目の治療の時に空洞から取り出されたそう。  こんな大きなものまで。

お参りして、御朱印を頂こうと思ったけどちょうど宮司さんがいらっしゃらないようだったので、大楠保存のための募金になる タヌキの手ぬぐいを頂きました。

 

また車を走らせて、西坂公園に向かいます。
日本二十六聖人殉教地で、記念碑と記念館があります。  
秀吉の命により、京都や大坂・堺の宣教師6人と信徒20人が処刑された丘です。
関西から24人が捕らえられ、左耳を落とされ、その後長崎まで裸足で31日間歩き続け この地に辿り着き、途中で2人が加わり、計26人が処刑されました。
宣教師たちによってゴルゴダの丘に似ているということで、この地を選ばれたそうです。 
 最年少の子は12歳でした。  
信仰を棄てるように言われても、一瞬の命のために永遠の命を捨てるわけにはいかないと、拒んだそうです。
14歳の子は、年下の子たちが怖がらないよう、最期まで讃美歌を歌い続けたそうです。
31日間歩いたということで、広場に入る階段は31段ありました。
レリーフは、信徒発見の舞台となった大浦天主堂の方角を向き、裏手に資料館があります。

   隣に立つ聖フィリッポ西坂教会。
双塔に埋め込まれたのは、長崎までの道すがら26人が使ったというお皿の破片だと運転手さんはおっしゃってました。
罪人として処刑されるので、そういう罪人が使った食器などは穢れているということで、誰もその次に使う事がないから、とのことです。
時間が無くて、資料館と教会の中には入りませんでしたが、次に訪れる機会があれば行ってみたいと思っています。

正直に言うと 私には一神教が合わなくて、道端の石ころにさえ神が宿るという八百万の神様、の方がしっくりくるため、キリスト教徒ではない。
だからといって熱心な仏教徒でもなくて、まぁ、典型的な日本人的なごっちゃ煮宗教。
キリスト教の、死んだら天国に行ける、神のお傍に行くのだから死ぬのは怖くない、という感覚も、命より信仰が大事という感覚も、理解しがたい。
個人的には他人が何を信じてようと、強制するつもりは無いけど、世界のこれまでの歴史から言うと、遠い海を渡って来たキリスト教の強い団結した信仰は、国を治める者からすると自分たちのシステムを根底から覆す大きな脅威になるだろうことは理解できる。
それに、あの時代、日本に派遣された人達が、日本を乗っ取るためにキリスト教を布教させた可能性も十分あると思うから。 
だから、何が正しいかとかは分からないけど、でもこういう歴史があって、自分の信じるものを守ろうとした人々が居て、今も守り続けてる人が居るということは、ちゃんと分かっとかないといけないなって。 

運転手さんも、最初は私たちがどういう人間か分からないから、はっきりとはキリスト教徒だとは言わなかったけど、この辺りから色々とお話をしてくれました。
お父様はもともと代々神道のお家だったのだけど、コルベ神父の機関紙のお手伝いをしていたとか。
そして赤紙が来た時に、コルベ神父の勧めで従軍チャプレン(教会などに属さず、組織の中で働く聖職者)にお手紙を書いてもらって、出征先で洗礼を受けたそうです。
通信兵だったため伝令のために乗り込んだ列車で、ロシア軍の検閲にあい、隠れていた藁に銃剣で刺しながら捜索されて、周りの兵士は刺されて亡くなったがお父様は無事だったとか、終戦後にシベリア抑留されたが、なんとか帰国できたのは、神さまのご加護のお蔭だと話されていました。

長崎の教会群を世界遺産に、とやってるけど、それは歴史的価値の面をアピールするのではなく、欧米のユネスコに対してなので、隠れ守り続けてきた日本のキリスト教としての信仰の側面から進めていかないと、難しいだろうと。
信徒以外の私たちが知らないこと、私たちでは分からないものが、キリスト教の方の間にはまた在るんだろうな、と思いました。 
そういうものにも耳を傾けていかないと、大切な残すべき物たちが長崎にはあるのにな、と思います。


諏訪神社に行く途中、日本で初めての営業写真館「上野撮影局跡」に寄ってくださいました。
坂本龍馬のあの有名な、袂に手を入れた写真を撮ったのもこの場所だそうです。
 同じポーズで(笑) レトロなカメラは操作難しそう~ 


 諏訪神社は、長崎くんちが行われる、長崎の総氏神様です。
鳥居から境内に向かって参道を進むと、途中に石が3種類 参道の真ん中にあります。
まずは、男石  そして、女石  最後に合体石。 
それぞれ異性の石と最後の合体石を踏むと、ご縁に恵まれるそうです
 えいっえいっ←やめなさい。笑。
昔はこういう陰陽もおおらかで、生活に密着してるものだったんだろうね~。

 往来の激しいこの一帯では、明治時代も迷子が多発したそうで、それを見かねた警察署の警部さんたちがお金を出し合って迷子石を建ててくれたんだって。
「まよひ子志らせ石」の境内側には「たづぬる方」、反対側に「をしゆる方」と刻んであります。
ステキ。

 長坂を登り切ると、大門前の広場に到着。
ここは長崎くんちの時に、桟敷が設けられるところです。
この踊り馬場で神輿を回すので、敷石にはたくさんの傷が付いていました。  重ねてきた歴史の証拠。

大門を入ると見える神馬像は、 平和祈念像の作者・故 北村西望さん作です。
躍動感あふれる神馬 

拝殿でお参り。
隣には、えべっさんと大黒さんの像があり、間を目をつぶって歩いて辿りつけるかどうかで恋占いをするのがありました。
地主神社にも似たようなのがあったなー。
ま、占う相手が居ませんが( ´艸`) ←コラ 

拝殿の左手奥に進むと、止め事成就の狛犬がいます。 
 コヨリを狛犬の脚に結び、禁酒や禁煙、すべり止めなどの止めたい事とお願いします。
断ちたいものは・・・あるような・・・ないような・・・だったけど、とりあえずやってみた(笑)

さらに奥に、 高麗犬の井戸・銭洗い井戸があります。
狛犬の口から出てるお水でお金を洗うと、2倍になって返ってくる、らしい。 
父のために洗ってみた。でもその洗ったお金がどこにいったか忘れた(笑)

そして拝殿裏には、 願掛け狛犬が。
昔、遊女が、海が荒れると漁師が船を出せずに自分のところに来てくれるから、と、海の方角へ向けてお願いをした狛犬なんだって。
なので、石の台座をクルクルと回す事が出来ます。
・・・おちりが可愛かったwww ←2代目おケツハンターと化している。

 境内には、神池もありました。
水辺が好き。

 本当は本殿にお参りする前にこちらに来ないといけなかったかな祓戸神社。
立ち狛犬と逆立ち狛犬という変わった可愛らしい狛犬が居た!
ナデナデしてきたヾ(・ω・*)

 一番参道の入り口にある石灯籠には、昔火を入れるために使ったと思われる、なんと石の階段が!

結構思ったよりも広い境内でした。
長くなるので、続く~ 



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