明るい乳がん生活&子宮体癌生活(の、予定)

~~2006年11月告知、12月手術、明るい生活を送っていこうと決めました!愛猫たちと頑張る!~~

検査をする

2007-01-12 23:46:07 | 告知編
週に1回しかない、総合病院の乳腺外来。
診察を決心した日が、まさにその曜日だったのは、不幸中の幸いだったのかも。

でも、来週に検査って、一週間もあけていいの??
疑問に思うけれど、言葉に出来ず。

それからの一週間は、さまざまなことを考える。
もし万一のことを考えて、私がいなくなってもわかるようにマニュアルは作らないとダメだよね。
遺書、みたいなことはしたくないけれど、今までありがとう、の気持ちはきちんと伝えておきたい。

パソコンがおかしくなったら、
猫たちの世話のこと、
経理のこと、あ、それから、電話がおかしくなったらターミナルアダプターをどうすれば直るのか、とか。
細かく考えて、少し頭を抱えました。
うーーん、結構いろんなことを・・・私に任せきりにしているね?

相方は、頼みもしないのに、あちこちの乳がんサイトを検索して私に見ておけ、と言う。
実感のわかない私は「うーーん」とあいまいに返事する。

実感が沸かないのよ、なのに一体何を知ったらいいの?
頭にはずっと、乳がんで亡くなったお知り合いの奥さんのことばかり。
最悪のことをいっぱい考える。

でも、知らないと始まらない。
読んだサイトで、多少なりとも「乳がん」の姿を知る。
昨日までは、全く関係のない世界、でもこれからずっと付き合うことになる世界。

告知の日こそ、べそべそ泣いたけど、夜中にもぽろぽろ泣いたけど、
泣いてても始まらないぞ、と思う。


12月1日。
予告告知の丁度一週間後、私はMRI検査を受けました。
相方と義姉(相方の姉)が付いてきてくれました。
検査後の画像で、先生は「やはりかなり乳がんであることが濃厚です。細胞の検査をしましょう」と有無を言わさぬ調子。
すぐに検査。
検査したら出来るだけ早く手術したほうがいい、と11月24日には言われていただけに、私も決心しなきゃ!と思う。

週に1回の外来を待っていたら延び延びになるので先生に早く確認したい、とお願いしたら、外来日でない日に結果を教えてくれるという。
では、11日に、と約束して「その日には、手術の段取りまで決めるつもりで来て下さいね」と先生から念押しされる。

そうか、ほぼ確定やん。
ほぼ確定かぁ。



まさかの診断

2007-01-12 20:48:53 | 告知編
午後の受付に向かうと、予約優先らしく、三時間ほど待たされました。
総合病院って、そういうのが大変なんですよね。
名前を呼ばれて、やれやれと思ったら
「向かいのビルの検診センターでマンモグラフィを受けてください。」
はい?

素直に行きましたが、これって無駄になるんじゃないの、とか思う。
だって、今までも婦人科でビビリながら不正出血とかを診てもらったら全然正常、とか言われたし。
あ、過去に子宮膿腫って言われたのも、自然に治りました。
家族に乳がんとかはいないし、はぁ~無駄なお金がかかっちゃうわぁと。

戻ってきて、ようやく診察。
「疑いが濃厚です。これはね、ボクは乳がんだと思います。」
とても穏やかそうな先生の口から出てくる言葉に、ポカン・・・。
「わかりましたか?」と次の診察日の予約を取ってもらって、わかりました、と言いそうになったけれど、
「せっ、先生、多分よくわかってないと思います。」と答えるのがやっと。

相方の元に戻り、呆然としながら
「ごめん・・・乳がんって言われた・・・。」と言葉にしたら涙が出てきました。
知り合いの奥さんが乳がんになって、しばらくして幼い子供たちを残して亡くなった、という話を、対岸の火事のように、大変ねぇと思ったこともあったのに。
まさか、自分が。
「えっ!」と驚いて言葉を失くした相方も、私を抱き寄せるのがやっと。
「私、アナタを残して、死ねない・・・猫たちを残して死ねないよ・・・。」
思いはまずそれでした。
自分が死ぬことは、正直余り怖くないのです。
それは、今までに私が関わってきた宗教観や人生観のようなものがあって、いずれは死ぬもの、という思いがあるせいだと思います。
でも、自分はそれでいいけれど、残されたものたちはどうなるのでしょう。
大勢の猫たちと、それからたったひとりの相方。

他にも問題はあり、うちは自営業で、人材をひとり失うというだけで死活問題にもなりうるのです。

2週間ほどかかる、といわれた入院生活の間、どうすればいいの・・・。
そんなことをぼんやり考える日々。
ましてや、そのほかのさまざまな問題。
経理上のこと、あ、相方は私に任せきりのことが多くあって、HPの更新とかどうするのよ・・・。私に万一のことがあったら・・・。私がいなくなったら・・・。

それから3日間は、わけのわからない現実と向き合うことが難しく、妙にざわざわした時間を過ごしました。
相方は必死になって、ネットで情報を得たり、友人のツテを頼って他の乳腺クリニックを捜してみたり。
「大丈夫、心配ない。」それは、相方が自分自身に言い聞かせている言葉だったのでしょう。

乳がんになりました

2007-01-12 20:31:40 | はじめに
乳がんになりました。
それは思いも寄らないことでした。
晴天の霹靂、とはこのことです。

病院から頂いた小誌に
「きっと、何故わたしが、と今あなたは思っておられることでしょう」
という文面がありました。
まさにそうです。
何故、どうして、私が・・・、と。

ぼんやりと疑ってから、入院して手術するまで、
たったの三週間ばかり。
その間に、さまざまなことを考えました。

色んな情報を探しまくりました。
インターネットの世界にいてよかったと思う反面、
手術の終わった今となれば知りたいことを探し出すことが本当に困難でした。

それは、ある意味、いかに乳腺外来という世界が発達してきているかの裏返しかもしれません。
私の体験が今現在のひとつの例として、今これからまさに受けようとされる方たちに少しでも道しるべとなれば・・・と思わずにはおれません。

一緒に、頑張りましょう。
きっと、まだまだやることはあります。
まだまだこの先、どんな治療法が開発されるかわかりません。
こういう病気になったのも、きっと何か意味があり、この先の人生に、何か素敵なことがお返しに待っているはずです、きっと!



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予兆

2007-01-12 19:44:25 | 告知編
2006年11月23日。
それは突然、ズキン、と来ました。
今までに味わったことのない、強い痛みが私の右胸を貫きました。
なんだろう、この痛みは。
経験したことのない、きつい痛みが四度ほど。
その日の夜、私は夜中に一人でそっと胸を触りました。

これは、いわゆる、しこりってやつ??

どうもそう思えてなりません。

翌朝に相方に触らせてみました。
「どう?しこりじゃない??」
「うーーーん・・・。わからん・・・。」
当てにならないやつメ!昔、ボクはきっとすぐわかると思うよ、とか豪語してませんでした?

その日に取りあえず身体を空けて、午前中に病院へ。
でも、どこに行けばいいの?
産婦人科?

しかたがないので、一番近い救急病院の受付に聞きに行く。
「どうされました?」
事務的に聞く受付のお姉さんに
「ちょっと胸にしこりがあって・・・。」とあいまいに言うと
「乳腺外来ですね、午後1時の受付になりますので、その頃にもう一度お越し下さい。」
病院の診察予定表の紙まで頂いて、一旦戻る。