唯物論者

唯物論の再構築

新左翼

2010-11-27 16:30:12 | 失敗した共産主義

 新左翼が文字通りに新しかったのは、60年安保当時の第一次共産主義者同盟解散までの2~3年の期間だけである。

 第二次大戦後、帝国主義戦争の原因分析や戦争への反省によって、さらには植民地諸国での帝国主義支配からの解放を求めて、世界各国にソ連を総本山にした共産主義運動が席捲した。しかしほどなくコミンフォルムからの自主独立派の離脱とスターリン批判により、ソ連主導の国際共産主義運動は崩壊する。その後も各国の公認共産党は主流派であり続けたが、60年代以後に公認共産党の内外から生まれた新左翼と呼ばれる共産主義の非主流派が西側諸国を席捲するようになった。
 新左翼の基本的性格は、暴力革命唯一論と公認共産党による政治的主導の排除である。新左翼諸派の暴力革命の論理の出自は、レーニン流の議会蔑視であったり、毛沢東の鉄砲主義であったり、アナーキズムであったりと多少の違いがあった。しかし論理の出生地が異なっていても出来上がりに大差は無かった。つまり暴力革命の結論を先に用意しておき、後からマルクス・エンゲルスが暴力革命を礼賛した言辞やレーニン・トロツキー・ルカーチの暴力革命理論を教条的に流用すれば、誰にでも新左翼の党派を作れたのである。新左翼とは、公認共産党への失望と共産主義への執着の二つの感情が、共産主義および社会民主主義の論理的かつ組織的な再構築へと向かわずに、公認共産党が拒否した暴力革命唯一論へと結晶したものだったのである。

 50年代の爆弾闘争以後の日本共産党は、六全協での党の統一を経た50年代末でもまだ、高橋和己の小説の雰囲気そのままに暗部で閉塞し硬直した活動スタイルにあった。これに対し、従来の党主導部の天下り方針の実行ではなく、自らの言葉で政治を語り合い、党派を超えて変革を目指す学生たちが登場し始める。活動スタイルも自ずと明るく楽しい自由闊達なものに変化した。これが最初の頃の文字通りの新左翼である。
 60年安保反対闘争の高揚とあいまって新左翼は次第に学生全体に浸透し、政治運動と呼ぶよりも新しい文化に変貌してゆく。そして新左翼がファッション化する勢いに反比例して、政治運動としての新左翼の活動スタイルは、暗部で閉塞し硬直し始める。六全協での脱落グループに加えて、日本共産党から中国派やトロツキストなどの新しく脱落した顔ぶれが新左翼運動に合流したことで、50年代の日本共産党の活動スタイルそのものが新左翼に移植されたのである。このような日本共産党からの人的流出により、明るく楽しかった新左翼が陰鬱になる。そして逆に日本共産党・民主青年同盟の方が歌って踊り始めた。新左翼が軽蔑するその歌い方や踊り方は、紅衛兵流のゼンマイ仕掛けの人形のようであったが、皮肉なことにその珍妙さが日本共産党・民主青年同盟にとって、新左翼の破壊的文化の流入を阻止する文化的砦の役割を果した。
 もともと60年安保反対闘争は、革命闘争ではない。日本にアメリカの植民地として生きる道を強要する米国支配下の体制派に対し、日本の独立を目指すグループが反体制派として異議を唱えたのが60年安保反対闘争である。しかし独立支持派に共産主義者が加わったことで、60年安保反対闘争は米ソの代理戦争の様相を呈し始める。共産主義者が独立支持派に加わった理由は、米軍支配の継続が、日本での共産主義政権樹立の最大の脅威だからである。実際に冷戦下の米ソ両大国は、駐留軍の直接出動による武力鎮圧や駐留軍支援のクーデターを通じ、世界のいたるところで自国利益に適わないと判断した政権を片っ端に崩壊させている。しかし結果的に日本はアメリカの植民地として生きる道を選択した。そしてこの選択は、日本の政治的安定と経済的繁栄をもたらしたとみなされている。確かに経済的パートナーとして見た場合、ソ連の行動パターンには商業取引に必要な規範上の信頼性が乏しく、アメリカと組んだのは正解である。またソ連は日本人の対ソ不信の払拭に失敗しており、対米不信の払拭に成功したアメリカと好対照を成している。もちろん日本がソ連に規範遵守の精神を教え込めれば、アメリカの代わりにソ連と手を携えて互いの経済発展をもたらした可能性も無いわけではない。しかし残念ながらそのようなことは、不可能と見るべきである。

 60年代を通じて日本が経済発展を遂げた結果、日米安保体制は60年当初と違い、日本国民に許容されるようになる。60年安保が国民を二分する対立となったのに対し、70年安保は一般大衆が無反応な一方で、新左翼を自認する学生が暴れ回るだけの状況に変わった。そして新左翼は無意味な蛮行を繰り返した挙句に自滅していったのである。ヨーロッパの新左翼には第二共産党として生き残ったグループもあるが、日米の新左翼は次の時代への政治的影響力を残すこともできなかった。残されたのは政治的影響力ではなく、ファッションだけであり、それも今では時代を象徴する単なる文化的記憶でしかない。
(2010/11/27)

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