唯物論者

唯物論の再構築

ねじ式

2014-02-26 22:52:52 | 映画・漫画

 60年代末につげ義春が発表した「ねじ式」は、ボディブローのように漫画表現のあり方を変えた。「ねじ式」が体現した映像の類似表現を捜そうとすれば、「櫻画報」「じゃりん子チエ」などの明示的なものから、「まんだら屋の良太」やアニメの「千と千尋の神隠し」のようにそれらしく見えるもの、あるいはパロディ作品まで含めるとかなりの広範囲に及ぶ。また漫画世界に限らず、寺山修二や篠田正浩、神代辰巳や田中登などの監督作品を含めた70年代初頭の映画世界、さらには近年の北野武映画においても、つげ義春を彷彿とさせる映像を数多く見い出すことができる。とは言えそのシュールで陰鬱な世界は、つげ義春が単独に構築した空間ではない。何よりもつげ義春の登場は、彼自身を含む同時代の劇画作家集団の存在を前提にしている。実際に彼の「ねじ式」以前の絵は、見るからに白土三平の模写である。そして「ねじ式」の作風は、明らかに水木しげるの漫画世界である。そもそも「ねじ式」と似たようなシュール世界は、水木しげるだけでなく、既に少年誌でムロタニ・ツネ象が描いている。見ようによって「ねじ式」は、ムロタニ・ツネ象の「地獄くん」の単なる成人漫画版である。ただし水木しげるやムロタニ・ツネ象の漫画表現は、まだ少年漫画の枠内に収まるものであった。その意味でつげ義春の優位は、最初から少年漫画としての制約を問題にしなかった点に集約できる。すなわちつげ義春の最大の功績は、漫画表現を若年層向けの下級な読み物の地位から解放し、純文学ならぬ純漫画の存在を世間的に認知させたことにある。

 日本の劇画型漫画の出発点は、戦前の田河水泡の「のらくろ」である。田河水泡は、「のらくろ」でその後の漫画文法をほぼ完成した姿にまで仕上げている。そしてこの劇画型漫画を日本社会に文化表現として定着させたのが、戦後漫画の巨人手塚治虫である。大手出版社が発行する少年誌では、トキワ荘メンバーなどの手塚系列の漫画家が活躍し、手塚系列ではない漫画家を圧倒していた。当然ながら当時の少年漫画におけるキャラクターデザイン、および画風は、手塚治虫の絵が基本となっていた。田河水泡の漫画は、本来なら劇画型漫画の本流に居たはずである。しかし手塚治虫の登場により、逆に長谷川町子など田河水泡門下の漫画は、戦後漫画では傍流となった。戦後漫画史において手塚系列の漫画家集団は、多くの伝説的エピソードを残した。しかしそれ以上に戦後漫画史の面白さを集約したのが、大手出版社から外れたアンダーグラウンドな漫画世界、すなわち貸本劇画の漫画家集団である。紙芝居作家から転身してきた白土三平・小島剛夕・水木しげる、または大手出版社の制約から外れた楳図かずお・池田理代子・さいとうたかを・横山光輝などの才能は、貸本劇画を根城にして漫画世界に頭角を現してきた。また貸本劇画があってこそ、それらの才能が可能となった。ただし白土三平を含めて、貸本劇画の作家たちの多くが最初に依拠した画風は、結局のところ手塚治虫である。ちなみに水木しげるは、手塚治虫の影響を外れた数少ない例外作家の一人であった。水木しげるの異才は、そのベタを多用した陰鬱な絵に現われている。水木しげるの絵が持っていたこの陰鬱は、手塚治虫が持っていた華やかさの対極であった。その絵が持つ闇は、漫画におけるリアリズムを可能にし、後のつげ義春を準備するものとなった。手塚治虫の絵がハリウッドのミュージカルであったなら、必然的に水木しげるの絵はチネチッタ・ネオリアリズムとなっている。白土三平が漫画に思想を持ち込むことで、日本漫画の芸術的変貌を用意したとすれば、水木しげるは漫画に闇を持ち込むことで日本漫画の芸術的変貌を用意した。日本の戦後漫画の拡がりに奥行きをもたらしたのは、手塚治虫の対極に居たこの二人の存在である。

 「ねじ式」はそのシュールな物語を絶賛されたが、実際にはつげ義春のインパクトは、その物語以上に映像の側にある。轟音とともに機関車がレールも無い村のど真ん中を走る絵や、寒村のどこか猥雑な商品広告、倒壊しそうな陰鬱な家屋の街並みは、どれもこれも必然性や形式性の網の目から漏れたサルトル風の悪夢である。水木しげるを模してベタを多用した光と闇のコントラストは絶品であり、圧倒的存在感を体現したその絵は、既に物語を凌駕している。腕から飛び出た血管を押さえながら医者を捜す主人公の前に、目医者の看板だけが並んでいるのだが、その目医者の看板に描かれた目玉は、どれも漫画の読み手の側を向いている。おかげで主人公以上に、絵を見た読者の方がドキドキしてしまう。「ねじ式」において絵は物語に従属していない。逆に絵のインパクトを活かすために、物語の方が絵によって捻じ曲げられている。つまり「ねじ式」における物語のシュールは、作家が作品の芸術的完成を目指した時点での必当然だったのである。ただし「ねじ式」以前につげ義春は、全く別形式のシュールな物語を「沼」で試している。しかし「沼」は、因果が登場人物に次々と転移する単なるオカルト漫画に留まり、出来の良くない物語に終わった。「ねじ式」において絵が物語のシュールを必然にしたことと比較して言えば、そもそも「沼」は、物語に言及する以前に、絵の出来に問題があったとみなせる。

 物語に現実性のある作品と違い、「ねじ式」のようなシュール作品について論評するのは、もともと無理がある。シュルレアリスムは、現実の対極を描くものであり、必然に対する偶然、形式に対する自由、安定に対する不安を目指す芸術だからである。偶然で無形式、しかもときとしてグロテスクな美は、他者による解釈を拒み、感じることだけを要求する。その非合理な美は、理屈を超越した美である点で、自然が持つ崇高美に類似している。この意味で、自然美のエッセンスを抽出し、その人為的再現を目指した芸術運動、としてシュルレアリスムを理解するのも可能である。この理解に従うなら、シュール作品についての論評の虚しさは、美しい自然を見て論評することの虚しさと同じである。美を宿す対象についての解釈は、いかようにでも可能であろう。ただしその解釈は、もっぱら的外れにならざるを得ない。肝心の美的対象が、自らに対する解釈に無頓着だからである。そもそもそこに現われる美的対象は、自らの内にある理屈を可能な限り排除した単なる残滓にすぎない。とは言え、偶然で無形式、かつ不安定な表現が全て芸術的なのかと言えば、そのようなわけが無い。「ねじ式」では、悪夢のような光景の中を主人公が予定調和を目指して徘徊し、無意味な大団円を迎えた。そこでの物語は、単なる偶然の連鎖ではない。少なくともその物語は、腕の怪我を治すための行動連鎖として、最低限の必然を直前の瞬間と直後の瞬間の間に持っている。そしてそれ以上の必然を直前の瞬間と直後の瞬間の間から排除している。物語のシュール性は、この必然の排除においてのみ成立しており、それ以外は順当な普通の物語である。もちろんこのようなシュールな物語が持つ最低の形式性は、夢が持つ物語としての形式性と同じである。このことを逆に見直すなら、物語の芯を残すなら何らかのシュール漫画は常に可能だと言うことである。そして実際にそのレベルのシュールな物語は、つげ義春以前に、貸本劇画時代の水木しげるが既に数多く描いている。したがってもし作者が水木しげるだと思いみなして「ねじ式」を見直すなら、まるでそれは海で遭難した鬼太郎の筆おろしの物語にすぎない。そうなると、もしかすれば「ねじ式」の女医は、実は猫娘なのかもしれない。してみれば、水木しげるがアダルトな鬼太郎を描いていたなら、つげ義春の評価も全く違っていたということである。とは言え、水木しげるがアダルトな鬼太郎を描いていたなら、悪魔くんも河童の三平も鬼太郎も、テレビ放映されなかったことであろう。後年に水木しげるが、つげ義春の後塵を拝する無念は、一種の天の配剤になっている。
(2014/02/26)


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