資本論2巻1章から5章では、資本の回転を生産過程と流通過程の二つの過程を繰り返す産業資本循環の分析になっている。生産過程は、可変資本と不変資本を投入して商品を生産する局面である。剰余価値は、労働者の剰余労働時間から産まれ出た剰余生産物なので、生産過程で発生する。これに対し生産した商品を販売し貨幣を得たり、貨幣で商品を購入する局面が流通過程である。流通費とは、この流通過程での出費である。それは生産過程が産み出した剰余価値から控除され、剰余価値を減じるだけの無駄な費用であり、資本主義に固有の社会的空費とみなされている。
この章での無意味なまでの精緻な分析の一方で資本論は、この流通過程での労働も剰余価値を産むとしている。なるほど流通過程にあっても労働は労働である。流通過程の仕事であっても、労働者に長時間労働をさせるほど雇用者に利益がもたらされるのは明らかである。しかし両過程は、剰余価値生産の有無によって区別されたはずである。ここに理屈の怪しさが見えてくる。マルクスも流通過程の剰余価値を、ピンハネにすぎない流通費のさらにピンハネ分として説明する形 で、その怪しさを誤魔化そうとしている。また具体的に示された流通費の例も、怪しさが満ちている。示されたものは、簿記経理・商品保管・運輸などの経費であり、ほかにも金融・保険などの経費も流通費にされている。この怪しさは、とくに資本論2巻1章4節と2巻6章3節にある運輸費の説明に現れる。その記述位置を見比べても、その記述内容を見ても、運輸は生産過程にあるのか流通過程にあるのか理解できない内容になっている。商品の包装作業も、生産物の使用価値を変化させないので、資本論の記述では流 通過程に扱われている。しかし包装されていない生産物は、市場での売買の対象から除外されるなら、商品と言えない未完成品である。この判断だと包装作業は、生産過程になるはずである。
このような理屈の怪しさが、流通費論を産業資本循環の分析結果をくつがえす出来に仕上げている。産業資本循環の分析は、価値増殖過程を、資本循環のいろいろな開始点から見比べたものである。要点は可変資本のあるところに価値増殖を行う生産過程があり、その生産過程のために先行ないし後続する流通過程は、価値増殖を行わないことである。しかし第6章の内容は、可変資本が関わる生産過程の一部を、生産過程ではなく流通過程に扱い、あげくにその生産過程を無駄なものに扱う粗末なものである。具体的には、経理や商品保管や物流などの経費を、必要かつ有用と認める一方で、社会的空費に扱う混乱した内容である。資本論における流通費は、対象となる経費が存在しない、カテゴリーとして無意味なものである。
示された流通費の混乱の整理
マルクスは運輸業を生産過程に扱う場合、生産と消費が一体化したものに扱うチュプロフの見解を踏襲している。生産されたのは空間移動であり、空間移動の実現により消費も完了したとみなしている。この場合、商品から貨幣への形態変換の一部が一体化し、資本循環の形態そのものも変更せざるを得なくなる。この見解はあまり良くない。正しくは、空間移動を行う交通機関が生産手段であり、空間移動をする乗客が労働手段であり、空間移動を完了した乗客は生産物である、とすべきである。運輸業における生産過程は、空間移動を実現する全過程である。したがって運輸業における流通過程は、空間移動を行う過程から離れ、せいぜ い運輸業者が行う機関車や乗務員の購入局面や客に対する乗車券の販売清算局面にするのが筋である。ただし機関車購入や乗車券販売にしても、それらに労働力 が介在する限り、それらも生産過程である。同様のことは、運輸業だけでなく2巻6章に登場する全業種に該当する。経理業務は、過去の入出金記録を材料にした企業の販売計画資料などの生産業務である。倉庫業務は、不要商品を使った原材料不要の商品再生産業務である。
加えてマルクスが運輸費を空費に扱いたがる理由に、運輸による商品使用価値の劣化がある。ここには価値増殖と商品劣化が相反するという思い込みがあるが、 多少の商品劣化を理由に商品輸送を拒む消費者には餓死の運命が待っており、無意味な理由である。一般に輸送商品が食品なら、商品鮮度の低下の代わりに、珍味や低価格などの遠隔地からの輸送に耐えるだけの使用価値を、その食品は持っている。またそうでなければ運輸費の付加により高価格になる遠隔地の食品は、近在の同等の通常価格の食品に駆逐される運命である。
また経理や商品保管や物流などの経費も、生産工程が産み出した剰余価値から控除され、それを減じるだけの無駄な費用ではない。またその業務に関わる労働自体も空費ではない。マルクスが認めるようにそれらの費用も内容も、生産過程に必要かつ有用などころか、不可欠なものである。そもそも機械のような生産手段を生産する資本の第2部門の費用であっても、資本の第1部門が産み出す剰余価値から控除されなければならない。(==> 機械増加vs利潤減少参照) 経理や商品保管や物流も、工業と同様に、資本の第2部門、第3部門なのである。そして資本の第1部門は、それらの第2部門、第3部門の生産物を前提にして、今では存在が可能である。つまり各部門とも、互いに商品生産の協業者なのである。生産過程の外部に存在するように見えるそれらの作業部門は、作業効率の高めるために、生産過程の一部が別の業者へと集約的にアウトソースされたものと言っても良い。
なお経理や商品保管や物流などの経費節減は、それらが空費だから行われるわけではない。生産過程と流通過程の区別無く、あるいは不変資本と可変資本の区別 無く、すべての経費は富者にとって節減対象である。可能であれば、資本が一切不要で完成生産物が魔法のように湧き出てくるのが、富者の理想とする生産過程である。もちろんこの魔法が実現すると、その商品は空気と同等の扱いになり、その商品価格もゼロになるであろう。
生産過程の基本となる運輸業
ケネーが商品資本を起点に産業資本循環を捉えたのを、マルクスも支持している。これが意味するのは、資本主義的な産業の基本は商業にあり、運輸業に象徴される物流こそが生産過程だということである。例えば資本論では鉱山業を、元来が人件費以外に元手不要の生産過程にみなしている。実際に鉱山業は、単に土地に転がっている岩石を商品市場で消費者に売りつけるだけのものである。つまりそれは、岩石を空間移動して利益を得るという運輸業である。この場合の生産過程は、 岩石を採掘場所から消費者の手元に空間移動する作業全体になる。したがって鉱山業における流通過程は、岩石が空間移動を行う過程から離れ、せいぜい鉱業主が行う運搬道具や作業員の購入局面や消費者と行う商品交換局面になるのが筋である。岩石が空間移動を行う物理的な意味での流通は、産業資本循環における流通過程ではなく、生産過程である。そして運搬道具購入や商品交換手続きにしても、それらに労働力が介在する限り、それらは生産過程である。したがって産業資本循環のW-G-Wの図式は、産業資本だけでなく、商人資本においても同一に扱う必要がある。商人資本が扱う商品は循環の最初に不変資本として現われるが、それ以外に産業資本と商人資本との間で差異は無い。同様にW-G-Wの図式は、利子産み資本においても同一に扱う必要がある。利子産み資本が扱う商品は循環の最初に期限付きの譲渡貨幣として現われるが、やはりそれ以外に産業資本と利子産み資本の間で差異は無い。しかしマルクスは古典派経済学の形式主義に妥協する形で、商人資本や利子産み資本での産業資本循環の図式をG-W-Gに扱うという致命的譲歩を行っている。この論理的欠陥は、商品としての資本の価値規定を労働力価値と切り分けるような、労働力価値論の逸脱にまで連繋している。
古典派経済学の時代に利潤発生の謎としてあったのが、右から左に商品を動かしても商品価値が増えないことである。右の商人が左の客に商品を売って得る利潤は、どこから来るのか? 重商主義の答えは、商人による客からの詐欺的搾取である。つまり社会経済は騙し合いという強奪行為で成立しているという珍妙な説明である。現代の限界効用理論も、装いを変えただけで同じものである。利潤発生の謎への解答は、リカードやマルクスなどの剰余価値理論が与えている。しか しマルクスは、重商主義批判の一方で、重商主義・重農主義・重金主義の全てを産業資本循環に取り込もうとしている。無内容な流通費カテゴリーは、その際の消化不良で作り出されたものである。貨幣から商品、商品から資本、資本から商品、商品から貨幣、そのいずれの局面であろうと、それらに労働力が介在する限り、それらを生産過程とするのが正しい。
ちなみにマルクスが簿記経理作業を無駄作業に扱おうとした思想的背景に、無政府主義の匂いがある。つまり、共産主義では国家機関が死滅するが、その際に管理作業全般も死滅するとマルクスが考えていた可能性である。いまどきそのような考えをする共産主義者はいないと思われるが、そうであればウェーバーによる共産主義批判も有効かもしれない。もちろんウェーバーの批判は、共産主義への批判というよりも、無政府主義への批判にすぎない。(2010/11/16 ※2015/06/28 ホームページから移動)
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資本論の再構成
・・・ 利潤率低下vs生産性向上
・・・ 過剰供給vs利潤減少
・・・ 搾取人数減少vs利潤減少
・・・ 機械増加vs利潤減少
・・・ 過剰供給vs必要生産量
・・・ 労働力需要vs商品市場
・・・ 過剰供給vs恐慌
・・・ 補足1:価値と価格
・・・ 補足2:ワークシェア
・・・ 補足3:流通費
・・・ 補足4:商人資本
・・・ 補足5:貸付資本
・・・ あとがき:資本主義の延命策
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