友人からいつもの「便り」が届いた。
独特の言い回しに、読んでいて喋る姿が浮かぶ。自らの内なる弱さをあからさまにさらりと書いてしまう。「あるがまま」の日々の情景がうかがえる。
ほっとさせてくれるいつも通りの「便り」だ。
「若い時から何事につけ、不十分さを若さのせいにして納得させていましたが、年相応の成長がありません。重ねるとそれなりにシャンとするのかと思っていましたが、なかなかそうはいきません」
念仏に生きることを愉しむ友人。自然法爾や他力本願を多くの人は誤解しているが、友人のそれは本来の姿を説くもの。くだけた言葉で愚かさもいたらなさも実にみごとにさらす。友人をしてそうなのかと想う。ほっとさせられるのはそのせいなのか。
「悩み、迷う心は生きている限りは慣れないことを知らされます。道づれしかありません」と、自身の今の姿を括ってあった。
いつもは妙好人の句が紹介されてた最後のページ。
今号は京都佛光寺の八行標語だった。
”ほんとうの
幸せは
意外な
ところにある
ほら
ここにも
そこにも
あそこにも”