ヒロシマは「あの日」から77年目の朝を迎えた。
東の空の下では「核兵器で威嚇する」プーチンの戦争が続く。子どもたちや市民の命が今日も奪われる。
77年前、徴兵され被爆した弟を探して、被爆直後のヒロシマをさまよった親父。やっと見つけた弟を背負い、連れ帰ったときのことを親父と母が話してくれたことがあった。
親父が焼け落ちた軍施設に辿り着いたとき、100数十名いた同期兵で生き残っていたのは弟、唯一人だった。弟は酷く衰弱するも一命はとりとめる。入市被爆した親父も高熱と歯ぐきからの出血が続き、髪の毛も抜け落ちてしまったのだという。焼け焦げたヒロシマの地獄絵図を話す親父の恐いような表情を覚えている。
毎年、8月6日の8時15分。ヒロシマに向かって手を合わせ黙禱する親父の姿があった。
プーチンの戦争に浮足立って、「核シェアリング」を軽々しく口にするこの国の政治家たちよ。被爆国としての歴史的使命をヒロシマ・ナガサキからちゃんと学べ。無知を恥じよ。
核兵器と人類の共存などない。
核兵器に人類の未来などない。