「アントニオ猪木が亡くなったよ」のLINE。
プロレスファンというよりも、猪木ファンの友人からだった。
戦後、プロレスを日本に持ち帰り、スーパースターだった力道山よりも、あのジャイアント馬場よりも、我々世代は「燃える闘魂・アントニオ猪木」だった。
闘魂むき出しのファイティングスタイルに惹かれ、TVにかじりついて見入っていたあの頃。「プロレスは八百長だ」と揶揄する奴に、「それならお前がやってみろ、首の骨を折って即死だ」と言い返していた。言われなくともショーであることは百も承知。だが猪木のそれは、プロレスの枠を超え「格闘家」としてショーアップされたもので、魅了された。
この春だっただろうか、猪木の闘病生活を追ったドキュメント番組があった。無敵で”不死身”の猪木が難病と闘う姿になんともいえない衝撃を受けた。猪木自身も「ファンのまえに病んだ姿は見せたくない」と拒んでいたようだが、弟子だったプロデューサーの熱心な思いに応えての番組制作と放映だった。
その時も、猪木ファンの友人から「勇気をもらった」と長文のLINEが入っていた。自らの大病を闘魂で乗り越えてきた友人には響くものがあったのだろう。あえて、病に冒された姿をさらした猪木の思いは、ファンのひとりである友人には深く届いていた。
数々の名勝負をファンの脳裏に焼き付けてくれたアントニオ猪木。世紀の対戦といわれたモハメド・アリや宿敵ファイターとのリングは、「闘魂」が叫び弾けるものだった。
「元気ですか!」とコールする猪木の姿が浮かぶ。また、ひとつの時代が終わった。