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日記(8.15)  新聞記事  竹内浩三(骨うたう)

2014-08-15 16:48:20 | 日記
8月15日 (金曜日)  晴れ

15日の毎日新聞の余録に

終戦の年の4月、フィリピンで戦死した竹内浩三の詩
「骨のうたう」を読むたびに、

戦後のこの国のありさまを見通したような
死者のまなざしにたじろぐ。


竹内浩三



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白い箱で故国に帰った兵士の骨は、あがめられはしても、人々はよそよそしく、
愛されることはない。


「骨はききたかった/絶大な愛情のひびきをききたかった/
がらがらどんどんと事務と常識が流れ/故国は発展にいそがしかった/

女は 化粧にいそがしかった」

その69年後の今も人々を押し流す事務と常識は
「がらがらどんどん」とやかましい。
ちなみにこの詩の原形は太平洋戦争開戦の翌年、
彼の入営の2カ月前に作られたという。

そのオリジナルは「なんにもないところで/骨は なんにもなしになった」と結ばれている。

当時の指導者の責任を再びあげつらいたいのではない。
当面する事務や常識がもたらす成り行きのなか、
忘れてはならぬもの、見逃してはならない岐路を見失ってはいないか。

むしろそう自問せねばならないのは、戦争の経験者を日々失っていく今日の私たちだろう。
内外の戦没者の魂の平安を祈る69回目の終戦の日だ。
せめてきょうは「がらがらどんどん」の騒音を封じ込め、
死者たちの声に静かに耳を澄ましたい。
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骨のうたう

  戦死やあはれ
  兵隊の死ぬるやあはれ
  とほい他国で ひょんと死ぬるや
  だまって だれもいないところで

  ひょんと死ぬるや
  ふるさとの風や
  こいびとの眼や
  ひょんと消ゆるや
  国のため
  大君のため
  死んでしまうや
  その心や

  苔いぢらしや あはれや兵隊の死ぬるや
  こらへきれないさびしさや
  なかず 咆えず ひたすら 銃を持つ

  白い箱にて 故国をながめる
  音もなく なにもない 骨
  帰っては きましたけれど
  故国の人のよそよそしさや

  自分の事務や女のみだしなみが大切で
  骨を愛する人もなし
  骨は骨として 勲章をもらひ
  高く崇められ ほまれは高し
  なれど 骨は骨 骨はききたかった
  絶大な愛情のひびきをききたかった
  それはなかった

  がらがらどんどん事務と常識が流れていた
  骨は骨として崇められた
  骨は チンチン音を立てて粉になった

  ああ 戦死やあはれ
  故国の風は 骨を吹きとばした
  故国は発展にいそがしかった
  女は 化粧にいそがしかった

  なんにもないところで
  骨は なんにもなしになった

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入営前2ケ月の時にこれを詠んだんだ・・・凄いなあ~!

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