Kennyのブログあれこれ

写真付きで日記や趣味を書くあれこれ

白鳥飛来地

2011-01-21 08:52:58 | 日記

1月21日(金曜日)
外壁工事の足場がとれて、すっきりした。
6時半散歩に出るときの空は薄暗く今日は昨日より冷たいこの時期”月は西に満月の翌日で真ん丸く輝いている、陽は東から”上がってきた。

昨日の白鳥の飛来地と鹿島古墳群と蠟梅


白鳥の飛来地として有名な「深谷市川本地区」の
荒川河川敷に役100羽程度ののハクチョウが飛来してます。
しかし
2008年から、鳥インフルエンザの影響などを
考慮して、餌付けが禁止されてます。


餌付けをしていないために、ハクチョウは河川敷の草むらでしきりに
野草を食べています。
今回もお二人の係の方が河洲の草をかたずけていました。

以前野火があったり犬の持ち込みで白鳥が寄り付かなくなったことがあったが
今は皆さんが承知でマナーを守っている。
10時半位になってから10人くらいの方が見学に来た。
餌やりが禁止されてからは鴨の類が大幅に減っている。

合併以前は「川本町の白鳥飛来地」として知られていましたが、
合併によって深谷市です。
*私が20日の日に愛用?の双眼鏡で数えたら44羽であった。


すぐ近くに「鹿島古墳」もあり、散歩コースにはうってつけです。

古墳とは今から千七百年前から千四百年前頃に
この地域の有力者を埋葬するために造られた墓で、
土を高く盛り上げて、その内部に遺骸を埋葬する場所が設けられています。

 古墳の形は、平面形から前方後円墳や円墳、方墳などと様々な形がありますが、
 鹿島古墳群は円墳だけで構成されています。
  この様に小さな円墳が密集する古墳群を特に「群集墳」と呼び、
  鹿島古墳群はその規模から県内を代表する群集墳です。
  鹿島古墳群では、遺骸を埋葬する施設として荒川の河原石を積み上げた
長さ四メートル、幅二メートル前後の楕円形の石室が築かれています。
また、出入りできる入り口が設けられ、こうした石室を
横穴式石室 と呼びます。

  この石室には遺骸とともに生前使用していた太刀や弓矢、刀子などが副葬されました。  鹿島古墳群では太刀などの武器具が多く出土しています。
  また、墳丘の表面は河原石で飾られており、築造された当時は草や木に覆われた現在  のイメージとは異なった、白く輝く荘厳な姿であったようです


鹿島古墳群 
荒川中流域における古墳群で、分布は川本 鹿島、本田、江南 押切の
範囲に及び河岸段丘上約二キロメートルにわたっている

 現存する古墳五十六基は、小円墳がほとんどで荒川に近い古墳には埴輪を持っているものがある。
 昭和四十五年に圃場整備事業に伴い県教育委員会により二十七基の古墳が発掘調査されている。
主体部は荒川系の河原石を用いた若干胴の張る横穴式石室で玄室には
棺座を設けたものも見られた。
天井、奥壁は緑泥片岩を使用していた。
玄室と羨道の比は、二対一となり三十センチメートル(漢尺)の
定尺となるものが認められている。

 出土遺物には、玉類が少なく、鉄鏃、直刀、刀子、耳環などが多く出土している。
 古墳の年代は奈良時代初期の住居跡の上に古墳が構築されているものがあり、
七世紀初 頭から八世紀初頭にかけてつくられたものと推定される。

 古墳の埋葬者は、在地において先進的な役割を果たした豪族であろうと思われる。
  荒川旧流域を代表する最も保存の良い古墳群で、埼玉県古墳文化の地域研究の上で
貴重なものである。昭和四十七年三月二十日、県の史跡として指定されている。
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更に古墳群と河川に沿って記念樹の蠟梅の木が沢山植え込んである。
今が盛りと芳香を漂わせている。


散策通路の畑には立派なネギが育てられていた。
結構両脇を深く掘るものだ!なあ~。

栴檀は・・・

2011-01-20 09:01:29 | 日記
1月20日

大寒の朝は特に寒く感じてしまう。

新聞の一面を卓球の天才、小4年の女の子2人(伊藤・平野選手)が飾っていた。
私も、運動をやっていたので良くわかるが、努力すれば出来るというのは
普通のレベルか少し上級までのことであって、
やっぱり素質がないと一流には絶対になれないと私は確信している。

素質がある上に努力を続けているとそこにある日に、天から神様が降りてきて
(どのスポーツでも他の業界でも)、スポットライトが当たる。
その結果、その人材が浮かび上がってくる様に思われる。
仕事を通じて多くの方々とお会いしてきたが、
若いうちから伸びる人間は違う様に感じる。

 昔からよく言ったもので
栴檀(せんだん)は双葉より芳しである。
 栴檀は二葉より香しとも、白壇(実際は栴檀ではなく白檀)は発芽の頃から
早くも香気があるように、
大成する人物は幼いときから人並みはずれて優れたところがあることのたとえ

栴檀は白檀の異称。
「双葉」は「二葉」とも書く。


白檀の木ってこんなんですね!
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18日HH嬢からいただいた”切干大根”を煮て食べた!

砂糖をあまり使わなくても甘味が有って美味しい。サンキュ!
材料が良いのかな!うちの切干は今ようやく出来上がるところ。
一寸黄色みおびてしまった!
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昨日は熱暑で出来の良くなかった里芋を掘ってみた。この寒さに耐えて
腐らずにまだ有った!良かった。

親ばかり 子芋はあまり育たなかった。
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苺のベニホッペが店に出て来た、今が一番美味しい時期かな?

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本日は歩行・散策で荒川の白鳥飛来地と鹿島古墳群と蠟梅の花を見に行ってきた!
毎年行っているが、2008年から餌付けが禁止され白鳥はいないかと思ったが
今年は私が数えたら44羽来ていた。河岸の水草などをたべているのかなあ~!
寒い。

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次回にまた載せる。

さきたま古墳

2011-01-19 17:04:38 | 日記


1月20日(木曜日)
17日に散策した、さきたま古墳公園を写真で載せる。
今、世界遺産へ登録をと市が頑張っているらしい。

丸墓山古墳の階段を一気に登ると風強し!

全体像

忍城方面を望む背景は赤城山


上からの眺め

上空からの古墳群(WEBから借用)


丸墓山古墳についての掲示板

堀の片隅で陽を浴びる鴨達
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古墳群に隣接して、天祥寺というお寺さんがある。

山門
*******前々からちょっと気になっていたこの寺について調べてみた。*****
天祥寺の概要忍藩主松平家の祖松平忠明公開基
臨済宗妙心寺派寺院の天祥寺は、海東山天祥寺と号します。
奥平松平下総守家の藩祖松平忠明公が(天祥院殿)が開基となり、
寛永年間大和郡山に創建されました。
奥平松平家は、9代目忠堯の代に、文政6年(1823)に桑名藩より忍藩(行田市)へ移封、
当寺も当地へ移転しました。
京都花園にある妙心寺塔頭天祥院は当寺の末寺です。
******************とあった。

古代蓮の里

2011-01-18 17:34:31 | 日記

展望塔

1月19日(水曜日)
昨日に続いて、古代蓮の里(行田市)の散策で撮った写真を載せる。
こんなに風が強く冷たい日であれば、
人はいないだろうと思ったが、ウオーキングの方数人と行きあった。
他に梅の写真を撮りに来ている年配の女性がいたが
風で花が揺れて撮れないですと言っていた。
そこに行くとバカチョンカメラはどこでもなんでもOK!

結構咲き始めている。

もう一枚

ここも鴨の安住の地、のんびりゆったり浮いている。

古代蓮の池も今は真っ茶色でこれが7月に満杯の緑と綺麗な花になるとは?

枯れている芝生もそれなりに美しい!

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ここ行田で永い眠りから目を覚ました行田蓮の、
その神秘的な美しさを満喫できる「古代蓮の里」。
古代蓮の里公園内では、6月中旬にかけて12万株42種類の花蓮を見ることができます。
花弁の数が少ない原始的な形態を持つ行田蓮は、
約1400~3000年前の蓮であると言われています。

また園内には他にも水生植物園、水鳥の池、牡丹園、梅林、
桜の木のあるお花見広場があり、年間を通して自然の美に触れることができます。
冒険遊び場や見晴らしの丘は、いつも家族連れで賑わっています。

園内にある売店では買い物もできます。ここでは行田の新鮮野菜や
名産品が所狭しと並べられています。

大人から子どもまで、こんな楽しい1日が過ごせる「古代蓮の里」。
蓮の花のシーズンはもちろん、季節ごとに楽しめる見どころ満載の公園です。

~~~~~~~~行田蓮~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

行田市の“天然記念物”に指定されている行田蓮(古代蓮)は
原始的な形態を持つ1400年~3000年前の蓮であると言われています。

古代蓮の里にほど近い公共施設建設工事の際に、偶然出土した種子が自然発芽し甦り、
池に開花しているのが発見されました。地中深く眠っていた多くの蓮の実が出土し、
自然発芽して一斉に開花した事は極めて珍しいことといわれています。

古代蓮の里では、行田市のシンボルともなっている古代蓮を育てており、可憐な古えの花をお楽しみいただいております。

~~~~~~~~~とありました。
ではシーズンの時




忍城

2011-01-17 21:55:32 | 日記

1月18日(火曜日)
近すぎてかえって行っていない場所に行く様にしている。
昨日は行田市にある史跡などをゆっくり一人散策をしてきた。
風が冷たかったが、結構歩きまわるのでいい運動になる。

忍城 のぼうの城で一昨年は湧いた!
冬の日中は空気が綺麗で写真も綺麗に撮れる。
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概要
天下統一目前の豊臣秀吉は 関東最大の勢力北条氏の小田原城を落城させんとしていた。
豊臣側に抵抗するべく北条氏政は関東各地の支城の城主に
小田原城の篭城に参加するよう通達
「武州・忍城を討ち、武功を立てよ」秀吉にそう命じられ 
石田三成は成田氏が降伏しているとは露知らず戦を仕掛けんとする
城はすぐに落ちるはずだった
開城か戦か 成田氏に遣わされた三成軍使が問うと 
総大将の長親は「戦」を選択。
当主・氏長より降伏を知らされていた重臣たちは混乱するが
かくして忍城戦は幕を開ける。
総大将たる長親は 将に求められる智も仁も勇も持たない 
正にその名の通り「でくのぼう」のような男 
主だった将兵は小田原城での篭城に赴いていた

三成率いる二万超の軍勢に農民らを含めて二千強の成田勢
果たして勝機はあるのか馬にも乗れず 剣を持っても戦うことさえできず 
大きな身体をもてあますかのように歩いている、
「でくのぼう」身分の違う誰からも「様」さえついているものの
「のぼう様」と呼ばれてへらへら笑っているような男の城が
三成軍の力に負けず 歴史に残る戦いをする。
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史跡の表門?

櫓の鐘 梅の蕾が既に一輪ほど咲いている。

由来の看板
月曜日は休館日で展示室には入れなかったが静かでよかった。

あす以降 冬の古代蓮公園 さきたま古墳公園を載せたい。
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今日は、これからいきがい大学である。
月日の流れが止まらない!