門掛けのもみじ舞い散る冬支度

我が身に旅立ちの支度を教えているようで、寂しい景色です。
振り返ればいろんなことがありました。

『手紙』が浮かび高畑淳子の将来が重なった

2016-08-30 11:22:12 | Weblog
東野圭吾氏の小説で
犯罪は家族を巻き込んで延々と差別と贖罪に苛み
主人公が突破口求め、いくらあがいて努力しても、
振り出しに戻る絶望感を
真に迫った描写で問い掛け、胸が締め付けられた。
それは犯罪を犯してはならないと世間が抑制力を発揮している一面がある。
社長の口を借りて言っているその発信している重みはズシンと応えた。

息子の有り得ない重大犯罪が突如起こった、母親の心情は
誰もが想像を絶し一瞬絶句しただろう。

しかし、なんのために母親が記者会見したのか?
そこには完璧な対応であるほど、したたかな
女優としての生き残る戦略が垣間見える。


被害者に対する謝罪と贖罪だけの記者会見なら評価できる。
だが、蛇足が本旨となり、世間の同情で
なんとかセーフの欲を出したのがアウト。

「手紙」を下敷きに視れば、一般人でさえ、成果を出しても
明るみに出て販売はさせないで、ばれる前に失脚させない為、
倉庫係にして使った社長の温情があった。

女優として晴れやかな舞台に立つことが果たして出来るだろうか?
有名税は負の場面で尚更きつく働くのが世間の抑止力ではないか。

有名人は特に気を付け甘い躾をした自分に責任があると身を引くのが
当然ではないか。息子が甘かった。それは自分なのだ。
代わりはいくらでもいて、何年も風雪に耐え、芽が出なかった人を起用すべきだ。
息子にも風雪に耐える人間にして、親の七光りではなく、自分の力で這い上がる
のが正解だったが、覆水盆に帰らず 
手紙の中にある贖罪の日々を避けては小さな幸せも見付からないだろう。