快談爺流離日記

思いの儘に記す自然を好み身近の被写体を撮り歩く暇爺。

於大公園

2013年01月14日 14時54分26秒 | 公園・風景・その他
今日は雨、関東地方から東北にかけて爆弾低気圧が発達して雪模様0.3℃寒いはずですね、
於大公園には5年前から行っていますが、公園の樹木、花等が主体でしたが・・・於大の方の歴史を少しは齧っていたが、
先代の歴史には余り触れていなかった・・・緒川城が有った事は知っていたが深く追求もしていなかった、
以前から気にはしていた緒川城主の墓所が有る事を知りながら一度も墓参もしなかったが、
今年に入ってから訪れてみました、於大公園東入り口を入って右手の小高い林の中に緒川城主三代のお墓が祀られていましたが、
人の訪れる気配は見当たらないし・・・公園の整備と裏腹に手入れも行き届いて居なない様だたった、
緒川城初代城主「水野貞守」二代城主「賢正」(かたまさ)三代城主「清忠」の三城主の墓石と四代忠正(刈谷城主)の兄成正とその子清成の墓石も祀られていました、
四代城主忠正(刈谷城主)は於大公園の隣の宇宙山 乾坤院に祀られています、乾坤院は初代緒川城主貞守の建立とされています。

於大の方は四代忠正(刈谷城主)の次女として誕生し・・・十四歳で岡崎城の松平広忠の正室に成る、十五歳で竹千代を生む(家康)が・・・
父忠正が死去後兄の信元が水野家を継ぎ・・・平松家の主君今川と絶縁して織田家に従ったため今川家との関係を慮った広忠に於大十七歳で離縁され三河の国刈谷城に返された。

1画は、於大公園東口に立てられている案内、

2画は、細い道を登ると墓所入口に小川城主の石碑、

3~4画は、三代城主の墓石、と四代忠正の兄成正とその子成正の墓石、

5画は、水野氏系図、東浦町教育委員会、

於大公園の画像

於大公園の画像

於大公園の画像

於大公園の画像

於大公園の画像