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エンジェルファームNEWS
睡蓮池
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/37/e279886a2a5374deca92c3cc26300a35.jpg)
クロード・モネの睡蓮池。
彼は1899年から1926年に亡くなるまで
睡蓮池の絵を200点以上制作しました。
浮世絵の橋をまねてつくらせた橋
それが絵の構図の骨格になっており
もし橋がなければ、風景画としての構図が崩壊する。
何が描いてあるのか、わからなくなる。
橋を描くことで「睡蓮池」という名前
「風景画」という意味を保っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/5b/511dcc83125d5b141e31227b7a149e2d.jpg)
やがてモネは白内障で失明状態になるのですが
すごい情熱ですね。
睡蓮池です。見えない目を使って描き続ける。
彼の伝記を知らなければ、これが「睡蓮池」だと
わかるひとはないでしょう。
でも彼は抽象画を描かなかった。
彼はあくまで「睡蓮池」を描こうとしたのでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/9d/78c25ee092ebf795bd029d44c6d79349.jpg)
モネが日本風と思ったアーチ型の橋
造形的な要素はそれだけで
あとは好きな色を塗って遊んでいる感じです。
これを風景画と言えるでしょうか。
彼はそのつもりはなかったでしょうが
いつの間にか、印象派から抽象派になっている。
視力が衰えたせいもあるでしょう。
そのせいもあって、肉眼の束縛から放たれて
事物の形態にとらわれず
自由に色遊びできるようになったのかも知れません。
それはもう抽象画の世界ですが
彼としては風景画を描いたのですね。
具象と抽象の中間みたいな絵
私は非常に興味があります。
画学生だった20歳のころから興味があります。
それは事物の本質の問題につながっていきます。
橋も池も睡蓮も、それは人間の頭にとって
橋であり池であり睡蓮であるだけで
本当は名づけようの無い存在でもあります。
「私」という存在自体、肉眼で見える私が
私なのではありません。
そうは言っても、肉眼で見える私があります。
目があり鼻があり口があります。
皮膚があり服も着ています。
セザンヌやゴッホ、カンディンスキーやマルク
モンドリアンの初期の絵は
白内障に苦しむモネの晩年の絵に近いノリがあって
絵画の世界から長く離れた今でも
彼らの絵を忘れてはいません。
例えばそれは園芸やレイキや瞑想の世界につながっています・・・