goo

睡蓮池



クロード・モネの睡蓮池。
彼は1899年から1926年に亡くなるまで
睡蓮池の絵を200点以上制作しました。

浮世絵の橋をまねてつくらせた橋
それが絵の構図の骨格になっており
もし橋がなければ、風景画としての構図が崩壊する。
何が描いてあるのか、わからなくなる。

橋を描くことで「睡蓮池」という名前
「風景画」という意味を保っています。




やがてモネは白内障で失明状態になるのですが
すごい情熱ですね。
睡蓮池です。見えない目を使って描き続ける。

彼の伝記を知らなければ、これが「睡蓮池」だと
わかるひとはないでしょう。
でも彼は抽象画を描かなかった。
彼はあくまで「睡蓮池」を描こうとしたのでした。




モネが日本風と思ったアーチ型の橋
造形的な要素はそれだけで
あとは好きな色を塗って遊んでいる感じです。

これを風景画と言えるでしょうか。
彼はそのつもりはなかったでしょうが
いつの間にか、印象派から抽象派になっている。

視力が衰えたせいもあるでしょう。
そのせいもあって、肉眼の束縛から放たれて
事物の形態にとらわれず
自由に色遊びできるようになったのかも知れません。

それはもう抽象画の世界ですが
彼としては風景画を描いたのですね。
具象と抽象の中間みたいな絵
私は非常に興味があります。
画学生だった20歳のころから興味があります。

それは事物の本質の問題につながっていきます。
橋も池も睡蓮も、それは人間の頭にとって
橋であり池であり睡蓮であるだけで
本当は名づけようの無い存在でもあります。

「私」という存在自体、肉眼で見える私が
私なのではありません。

そうは言っても、肉眼で見える私があります。
目があり鼻があり口があります。
皮膚があり服も着ています。

セザンヌやゴッホ、カンディンスキーやマルク
モンドリアンの初期の絵は
白内障に苦しむモネの晩年の絵に近いノリがあって
絵画の世界から長く離れた今でも
彼らの絵を忘れてはいません。
例えばそれは園芸やレイキや瞑想の世界につながっています・・・