うんたま森のキジムナー

長間ウプガー


北海岸を車で走らせていると、宮古島の
風景には似つかわしくないモーテルが
ある。利用されるかたはどうぞ!
その少し手前あたりに「長間ウプガー」と
書かれた史跡がある。「ガー」とは井戸や
川など水の湧き出る場所のことで、ここには
昔から豊かな湧き水があった場所だ。

古い書物には1500年頃からこの湧き水の
ことが記されてあり1727年にはこの湧き水を
利用して水田が広がり、沖縄でも有数の
水田であったそうだ。オバァからは宮古島の
主食は芋であったと教えられたが、それより
ずっと昔は米が食べられていて、本土と
同じように米がお金と同じ時代があったと
いうわけだ。

サトウキビの普及政策で水田はなくなり、今の
サトウキビ畑が広がる宮古へと変わっていった。
薩摩もやはり沖縄の米に不安をいだいていた
のだろう。米をお金と考えれば、その理由も
解ける。水の豊かな宮古島では一年に3回収穫
することが可能であるからだ。すくなくても
2回は採れる。

この長間という村の歴史を見ると、1727年大神島
より72人を移住させ村立てしたが、島民は漁業に
従事し農業には不慣れであった。その後1731年に
他村から新たに200人を移住させたとあるが、
水田や米に関しては一切ふれられていない。
小さな場所に200人もの人間を移住させたのは興味
深いところだ。やはり有数の大きな水田があった
ことの証だろう。

しかし水田を放棄したのが原因かどうかは定かでは
ないが、この豊かな水が原因で湿地が広がり
マラリアが発生して、ほぼ全滅したそうだ。
現在の長間は明治4年に再び村が出来ている。
この地で何が起こったのか知っているのは
今も湧き出る水だけだ。

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