私は3月1日に八十路を迎え、貧乏と平穏無事な人生を懐かしく振り返っています。

私は生まれたとき育った土地と建物を戦時中飛行機場に接収され、4歳では父を戦闘機で、15歳には母を肺結核で亡くしました。

雀友とのお別れ

2013年06月11日 | 日記

 

一昨日、OB会より訃報連絡がありました。

彼は、私と一回り下の丑年で、昨年、

私たちのマージャン仲間入りをしたばかりです。

頭の回転、計算、そして腕がよく

ぼけ防止に牌をかき回していた先輩年寄り3人には

強敵でしたが、脳の若返りには大きな貢献をしてくれました。

死因はすい臓がんでした。以前から体調には

不安があり、定期検査はきちんと受けていたのに

病院でも癌を見つけることができなかったもので残念です。

綺麗な奥さんを残して逝きました。無念だったこと推察します。

ご冥福をお祈りします。

蘇生

 

 


日本人の平均寿命80.67歳を超えました。中高大学校同級生はまだ半数以上います。戦争を知る老人は、日本について語る場が無くなりました。

憲法は、アメリカのマッカーサーに準備してもらったかもしれませんが、一院制を二院制に、土地を国有から私有に替えたのは帝国議会草案でした。 議会の審議では自衛戦争の放棄は草案の中にあり、吉田首相も正当防衛や、国の防衛権による戦争もしないと壇上で明確に述べていました。 草案は、衆議院は反対八票の絶対多数で、貴族院の満場一致で可決しました。 ただし、衆議院では九条二項に「前項の目的を達するため」を加えて修正しました。二項は戦力を保持しないとしており、後に、自衛のための戦力が議論されることになりました。 憲法改正から68年の昨年は、安保法改正で国会や、法律家、若者、お母さんが、戦争を意識させるとして、議論されるようになりました。 平和は、日本だけでなく、世界中が戦争をしない国にしないと続きません。しっかりと政治を見て行きたいと思います。