東海中央病院から見た朝焼け
平成29年のこの1年間に「安倍1強」が執って来た「国会と内閣」関係を揺るがす政策決定から、国内民主主義と国会の崩壊を見て行きます。
国の立法、行政、司法が互いにチェックし合って、均衡を図って行くのが憲法です。 この国政を規定するのは「権力分立の原則」なのです。
森友・加計学園問題で野党から追求を逃れていた政府は、野党からの「憲法53条に基ずく臨時国会召集」の要求を3か月も放置した挙句、臨時国会では一切の審議を拒んだまま、招集した途端に衆議院の「冒頭解散」を強行しました。
政府は、解散の理由を「消費税増税分の使途変更の是非」と「北朝鮮対応に向けた政権基盤の強化」を挙げました。選挙を有利にする「国難突破解散」です。
「安倍1強」は、国会での「国家行為の対立」を理由に選挙に持って行ったのでなく、野党の追求逃れたもので憲法の趣旨に反しいます。
首相がなすべきは、解散ではなく「丁寧な国会審議」だったのです。
野党側の選挙準備不足を突いた「抜き打ち解散」であり、前国会での森友・加計学園問題をめぐる追及を避けるための「自己都合」解散であります。
首相は自己に対する森友学園の「忖度」疑惑ついて、一度も丁寧な説明を国会にせず、疑惑を隠くしていたことは許されません。
ここで憲法上の「首相による解散権」について触れます。
首相は内閣総理大臣として閣議決定により解散権を行使しました。
憲法7条では、内閣の助言と承認に基づく天皇の国事行為の一つとして「衆議院の解散」を行います。
憲法69条は、衆議院において不信任決議があったとき、又は信任決議が否決されたとき、内閣の対抗手段としての解散につれて触れています。
この解散は、総理大臣の閣議決定に基づいて衆議院を解散することができると解されています。
この解釈が、現在では69条の解散以外においても「解散は内閣総理大臣の専権事項」になり、内閣の一方的な都合や党利党略に解散が悪用されるようになって来ました。
「首相の解散権」については、吉田茂首相の抜け打ち解散で1960年(昭和35年)に最高裁は「高度に政治性のある国家行為は裁判所の審査権の対象にならない。」と許される解散の具体的に事例についての判断を避けました。
今回の安倍解散につても「高度の政治性のある国家行為」であるのか、訴訟を提起して最高裁の判断が欲しいところです。
今回の解散は、行き詰まった国会の審議打開策では全くない、首相の自己防御解散でした。
解散は「国民に信を問う制度」ですから、それに相応しい理由の存在が必要です。
衆院解散は、国民の代表である議員を行政(内閣)が失職させる行為です。
解散は、内閣不信任決議の場合以外では「国論を二分する問題」に限るべきだと考えます。
良識ある政治に戻すには、政府に解散権を乱用させない方策を考えなければなりません。
2014年の衆院選挙においては、選挙費用は国税を617億円支出しています。
今回の選挙で当選した安倍首相は、明らかに憲法に反する解散を実施しました。
この衆議院選挙は各党の公約・獲得議員数には前回と大差のない無駄な選挙でした。
首相は、国の被害として選挙実施費用及び選挙で落選した議員の残余任期の議員報酬を首相の自己負担により国や落選した議員に支払うべきです。
安倍首相は、衆議院選挙において大勝すると、今度は国会での質問時間を与野党逆転させ、野党の質問時間を大幅に削減する方針で臨みました。
与党の質問時間拡大は、改選後の国会で前回に引き続き森友・加計学園問題や官邸主導の幹部官僚における隠蔽疑惑が野党から追求されることを恐れて、見綺麗にすべき行政を恥ずべきことに身の潔白を証明できないために与党の質問時間に援護を求めたのです。
安倍1強は「数の力」を背景に内閣はどんな事でもできます。 国会では野党の主張に耳を貸そうとしなくなりました。
国の権力者一人により、不法な解散や、官僚人事権の独占を許していると、国の行く先には内閣の暴走の危険を感じます。
憲法では、民主的なコントロールの下、権力分立を実現するためには、内閣の行政権行使に当たっては、国民の代表者である衆議院議員の集まりである国会によるチェックが必要です。
次に述べる「三権分立の原則」に反することが明らかな今回のような解散は、巌に慎むべきであります。
立憲主義です。憲法66条には「内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負う」とあります。
憲法72条には「一般国務や外交に関する首相の国会報告義務」が規定されています。
憲法53条では、衆参両院のいずれかが総議員の4分の1以上の要求で、内閣に臨時国会を召集することを義務付けています。
憲法上のこれらの規定が軽んじられたり、無視されるようになり、世界のグローバル化と、価値観の多様化に伴い、日本の憲法も改正の必要性が出て来たのかもしれません。
国会では憲法調査会において超党派による真摯な議論がされていると思いますが、憲法が守って来た国民の人権を保障し、立憲主義を守り、権力を制限する規範は残さなくてはなりません。
大切なのは主権者が、国会の議論と改憲の必要性を理解することです。
この70年間、日本は「他国との無血の歴史」を続けて来ました。憲法の力で戦争を封じ、自由で平和な社会を築いて来ました。
その平和憲法を世界に掲げる日本の首相は、歴代政権が否定して来た集団自衛権の行使を解釈改憲し、憲法9条を改正し、自衛隊を海外に派遣し安保法に基づき「駆けつけ警護」の任務遂行を付与しました。
更に、防衛費の増額は5年間が続いています。憲法に抵触する適地攻撃能力を確保するミサイル基地を整備する予算化をして、「存立危機事態」では米国に対し弾薬の提供ができるようになります。
政府は、テロ行為防止策で犯罪を計画段階から処罰する「共謀罪」を数の力で成立させ、国民の「内心の自由」までを奪っています。
憲法を滅多切りした安倍一強政権を止めるすべがなく、北朝鮮に対する外交努力も期待できず、戦争が始まるまで黙って見ているほか方策がありません。
ヒットラーに期待したドイツのように、安倍内閣を批判する野党勢力は見つかりません。
そのうちに安倍内閣が軍国化と借金政策をやり過ぎて国民のしっぺ返しに合うことでしょうから、それまで待つことにしましょう。
蘇生