昨日、年賀欠礼の葉書が来ていた。
夜、暗くなってから郵便受けに入っているのを見つけ駐車場に行く間に目を通したのだが、初めは『知らない人から来てるー』なんて思っていたが・・・・。
誰の喪中か事情が判ってから驚いた。Yoshi.さんだったのだ。それも最近亡くなったのかと思ったら7月20日だったとは・・・・。
市町村大会の時も、合宿の時も、佐渡に行った時だって誰も何にも言ってなかったのだ。その頃はもうとっくに平泳ぎか背泳ぎで三途の川を渡っていたのに。
いくら密葬だって一人くらいは知っていたと思うのだが・・・。
今から考えるとGSの専任コーチを突然やめた時、私は本人か身内の人が病気でやめたのかと思っていたが・・・誰も何にも言わないので聞きそびれていた。
52歳じゃ若いよね・・・。私の母も早かったけど、それより早死にだもんねェー。Tana.さんと殆ど同じくらいの年で2ヶ月くらいの間に亡くなったんだな。
しかし、やめてから早かったね。名簿を見たら既にGSコーチは抜けているので4月上旬には病気を告知されていたと思うが・・・・。
一時は、女性が一人でもマスターズ大会に出るような時があったのに・・・・・。
ご冥福を祈ります。
リしました。というより、全く信じられません。
私のリレーデビューは、都下記録会でご一緒した時で
した。緊張してる私を優しい笑顔で励ましてくれた事
ハッキリと覚えています。
Jr.でも一緒に岩井海岸に行ったし、マスターズ、都下大、そしてteamZでも・・・。クラブは違ってても、水連の先輩として、いっぱいお世話になったのに・・。お別れが言いたかったと思っているのは、私だけではないでしょう。ご冥福をお祈りします。合掌
病気に気づいてからどんな葛藤があったのか、何の力にもなれなかった自分が情けなく無念です。最後まで生きる希望を持っていたと聞いて又涙。そうよ、まだまだこれからだったのにね。せめて夢の中に会いに来てね。そしていつものように笑って別れましょう。
一人で旅立った貴女へ
次の『三水連だより』にちょこっとでも良いから追悼文を載せられたらと思っています。