栗城さんの凄いところは、自分が満足するための登山ではなく、過酷な登山を通して「何か」を人に伝えたいというところです。
私には人のために「何かを伝えたい」とは、「沢山の人に親切にしたい」と聞こえます。(栗木さんを見て元気になった人は沢山いるはずです。)
経済も不安定な世の中で、人のために役に立つ親切をしたい。
そのために私に出来ることは、“ニートのアルピニスト”だったといっている気がしました。
映像では、栗城さんが神にひざまずいて感謝の気持ちを表している姿が、何度も映し出されていました。
自然や天候に立ち向かうとき、理屈ではなく最後は、神のみぞ知る世界ということなのでしょう。(私たちが見ることが出来ない何かを見ているような気がします。)
それを身体が知っているから神にひざまずき感謝して、次に頑張るパワーを頂くということなのでしょう。
多くの人たちが自分で「超えられない壁」を作って、「できない理由」を考えて、「ムリ、ダメ、できない」の連発で、自らのチャンスの扉を閉じている私たちを見て、限界の壁は自分の心が作っていることに気づいて、「まだまだやれる!」と信じて欲しいといわれている気がしました。
(これは本当にまだまだやれるという元気を頂いていました)
誰にでも可能性は無限にある!
やれる!と自分を信じ、ありがとうと感謝の気持ちを忘れないことを教わりました。(栗木さん本当にありがとうございました。感謝!感謝!)