平成22年11月28日に12月FMICS用に書いたモノです。
赤で加筆しました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
先日、来年度の入学案内用パンフレット作成のために卒業生のいる幼稚園や保育園に取材に行ってきました。ある保育園の園長先生から面白い話を聞くことができました。
その園では「遊具を子どもの人数の6割しか用意しない」人数分を用意すると必ず独り占めしてしまう子どもが現れるのだそうです。遊具の数が足りなければ、自然と貸し借りを覚えます。「喧嘩をしても止めに入らない」途中で止めると必ずストレスが溜まり、ほかの子どもたちに影響するためです。極めつけは「ひっかき傷、噛み傷、すり傷では保護者に謝らない」入園当初からこのことは徹底するそうです。園長先生曰く、この保育園の子どもたちは、「遊びは自分たちで創造することができる」と豪語していました。いまだに缶蹴り遊びをするともいっていました。あとから本学のキャリアセンターにこの保育園の話をすると、とにかく人気の保育園だということでした。私も、子供がまだ幼児ならこういう方針の保育園に入れたいと強く感じ、人の原理原則をこの保育園から学ばせていただきました。
こういう園が増えることと
大人がもっと子供の成長を理解することがポイントですね。
最近の中等教育の現場では、大学進学実績作りのために私学のみならず公立の高校までが躍起になり、子ども達の自立する心や集団の中で暮らすことなど二の次になってしまっていたのではないかと思うほどです。
私たちが作ってきた社会は人の原理原則を忘れ、足りていても足りない足りないと嘆き、他者のことには思いいたらず自己の得ることにのみ専心し、個人のみの消費に現(うつつ)を抜かしていたのではないでしょうか。そうして、そこに育つ子どもたちもこうしたイマドキの社会性を身につけて成長してしまった感が強い。
その通りの結果が今出てきただけですよね。
社会は我々が作っていると実感することですね。
結局はそのツケが回りまわって、大学に入っても「自分の居場所が見つけられない」「友達の作り方がわからない」挙句の果てに「社会に出るのが怖い」という人を創りだしてしまったと思う。
さらにリーマンショック以来、日本の社会はいっそうギスギスしています。11月17日の日経新聞では「就職内定率の過去最低」の記事の中で、企業側から学生に対して「意欲が感じられない」、「個性がない」と言いたい放題のコメントがある一方「80社回ってようやく内定を得た友人もいる。努力が足りなかったのかな・・・」というコメントをする早稲田の文系の女子学生が登場していました。就職できなくても大変ですが、難関を乗り越え就職できても、企業の生き残りをかけたエゴイスティックな論理を押しつけられ、大変そうです。こんな時代でも楽しんで生きていくために必要なのは、保育園でのように遊びを創造する力であり、他者と貸し借りをできるようなコミュニケーションを築く力によって培われる人間力ではないでしょうか。
遊びを創造することが出来る人はとにかくスゴイ!!
まさにこれからは足るを知り、礼節を重んじる教育が重要な課題になります。
この文章を書いていた時は、「子ども」としていましたね。
幼児教育に関わっていると、「子ども」と使うので気にせずに使っていました。
その後、ある方から「子供」について、話をお聞きしてから、仕事では「子ども」私的には「子供」を使うようにしています。
まあ、本音は・・・・