平成20年9月24日に書いたものです。
加筆を赤で入れます。
“麻生太郎内閣誕生”2008年9月24日に第92代、59人目の首相に指名され、同日、新内閣を発足させた 。これまでに様々な憶測が飛び交い「禅譲密約」などと揶揄されながらも終わってみれば国会議員の約6割の支持を得て麻生氏に落ち着いた。
そうですよね麻生さん首相だったんですよね。
禅譲とは政治の中であまり芳しくない様相を示すときに使われている言葉だが、本来、悪いことではなく「中国で帝王がその位を世襲せずに有徳者に譲ること」である。
その禅譲を行い、道徳政治が行きわたった尭帝の時代、民は腹鼓(ハラツヅミ)をうち「撃壌(ゲキジョウ)の歌」をうたった。「日が出りゃ働き、沈めば休む。井戸掘りゃ水湧き、畑耕しゃ飯食える。帝王なんか居ても無くてもこまりゃせん」。お忍びで巷に出、この歌を聴き尭は喜んだ。自分たちの力でやっていると思っている。おれの事なんか気に置かない。民が良ければそれでいい。
子曰わく、尭の政は偉大なものだ。天のごとき堂々のびやかなさまは、人民に言い表しようがない。立派な業績、輝かしい文化も打ち立てた。その後、尭帝はわが子に帝位を譲らず、不遇な道を頑張りぬいてきた舜に渡した。舜もわが子にではなく、治水に長けた禹に禅譲した。これは中国の歴史の中で、真のリーダーを創るシステムだったと言えるのではないだろうか。
素敵な仕組みですよね。
話を日本に戻してみると、国家の品格の著者藤原正彦氏は日本では強いリーダーが誕生しにくいことを次のように語った。「和を尊び、皆で話し合って決める国だから、強力なリーダーが生まれにくい土壌にある。政治家も泥沼の人間関係の中、根回しや妥協ばかりの調整役になっている。そして、真のリーダーの条件とは、第一に圧倒的な教養と、それに根ざした大局感があること。第二にいざとなったら国家のために命を投げ出す気概」の2点を挙げた。
最近は真のリーダーは日本に必要なのか。
と思うくらい
あまりにもばかげている世の中に見えてきています。
大局的なリーダー論は藤原氏の指摘どおりだと思うが、なぜかフジテレビ「CHANGE」のキムタク総理の一場面を思い出した。
「ボクは、子どもたちにこう教えてきました。意見が違ったら、とことん話し合い、共に考える、そうすれば・・・」「分かり合える。」「違います。そうではなく、相手と自分とは違う、という事に気づきます。」「意見が合わないから切り捨てる。」「そうではなく、考え方も事情も違うので、それを理解し、相手にわかってもらうにはどうしたらいいのかお互いに必死になって考える、共に生きていくのだから。“人は、みな違う。人は、成長する”。」という一人ひとりの個性を大切にし、相手を理解して、ともに成長しようという名言でした。
一人ひとりの個性を大切にし
相手を理解して
ともに成長しよう
みなさん
これがわからないんですよね~
教育のシステムの中にこの考えが浸透すれば
あっという間に
日本はかわれるでしょう
がぁぁぁ
無理
ダメ
できません
でしょ
今、組織のリーダー待望論を語るより、互いを理解して認め合い「自ら学び・考え・発信する」というまさにFMICSの原理原則が必要な時だと改めて感じました。 「まずははじめよう」頭で理解したつもりにならずに、汗をかく。“学生は、みな違う。学生とともに成長する。”
まあ
書いていたときは
どうにかなるかなぁ
と思っていましたが
大変申し訳ありませんが
高等教育では
こんなこと無理ですね!!