舞踊家 木室陽一 きむろよういち おどるおどる

木室陽一の舞踊活動が、次第に明らかに。創作・舞台・即興。彼は何処に居て何処に向かうのか。現在、愛媛・中島にて島暮らし中!

せいぶつたようせい(後半)

2014-05-01 23:48:41 | みかんの畑
ところで、野生の藤の花咲く畑の中で、
なんと!
もぎ残したみかんが、樹にのこってました!!

え~
(^◇^;)
しんじられん。



藤の花と温州みかんのツーショット!!

たまたまもぎ残したみかんの中で、
たまたま鳥たちにも、狙われず、
しかも、「腐らせる」細菌達の手を逃れて、
ここに実ったまんまで。

食べたら、
んまいっ~
( ´ ▽ ` )ノ
そんな条件が重なることもあるんですねぇ。



これは、この樹だけが特別だったからではなく、
ひとつの畑を眺めてみると。
よくよく普通に、眺めてみると、
一本一本のみかんの樹は、どれも違います。

枯れかかっているものも、
虫にやられて、根っこちかくに穴が空いてるせいだとか、
虫の形跡がないのに、やたら葉っぱが枯れてしまってるのとか、
一部の枝だけ、あとは元気そうだとか。
青々してる葉をつけてるものも、
葉の付き方が上向きなもの、
ややたれさがって元気なさげなもの、
新芽が、幹の途中からぽつぽつでてるもの、
ちゃんと茎から新葉となる芽がそろってるもの、
花芽がついてる!かと思えば、
ほとんど花芽がないもの、
同じ花芽でも、大きく膨らみかけて、これからまさに咲かんとするもの。

さらに、下地が様々で、

斜めだったり、
平らだったり、

カラスノエンドウに覆われているもの、
ほとんど砂地ばかりの場所、
これはナズナかな?
セイタカアワダチソウに囲まれつつも、
このおかげで土の流出が抑えられているのかも、
様々な草が、
様々な姿ではびこっていて。

当然ですが、一律ではないです。

同じ畑といえども、
風のあたり方、
日の照り方、
高低差による保湿の違い、
そばの樹との距離、
土の粒子の違い、
なんてのは、当然あるので、
300本のみかんの樹は、全く違う成育をしてるという。

もー、当然すぎる当たり前の事実。

そして、さらには、
そこに集まる
あんな虫や、
こんな虫や、
むしや、
虫や、
虫や、
虫や、
なんかの生き物やら、
虫やら、
むしやら、
虫達が、
とにかく智学がないばかりに、名前もわからない大量の虫達が、

好き勝手に!

いろんなとこでいろんなコトしてます。

草の生態の差とおんなじように、
場所によって居方がどれも違うんよね~

こんな状態の異なるひとつの園地を、
「いっこの畑」として見てしまうのは、おこがましいのかもなぁ。
いかがなものかなぁ。

この、草やら、虫やら、それを生んでいる園地の条件やらが、
先の「肥料って必要なんやろか」に、思いを馳せるきっかけとなりました。

あるべきもの、あるべき状態として、ここにある、のだから、
それらは、選ばれてここにあるのだろう。

畑の様々な条件の必然として、ここに集まった生き物達は、結果、多様性としてその姿を顕わしているように思えるのです。

そこで行われている、
みかんの樹と草と虫と、もろもろの生物たちの生きてゆく営みは、

なんとゆうか、

でかい。

たった100年ほどの肥料の歴史では太刀打ち出来ないほどの、
でかさと深さと、
そこにまだ秘められた知恵があるように思います。

戦争で歪んだ歴史とものの見方、しかまだ僕らは知らないので、
この目の前の、多様な生物、
その、でかさ、
がすでに顕しているモノのコトワリを学ぶには。


じっと、畑に座り込んでみて、
ひたすらに起きてくる事柄に全身を澄ます。

なんか、そんな振る舞い。
から、
始めてみます。

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