「越冬闘争」と言われても、なんのことやら。
冬を越すのに闘わなければならないなんて、大げさな。
と、
思ってしまいますが、
僕のアジトのある、大阪・西成区では真剣な問題なのです。
闘いの目的は、
「一人の餓死・凍死者を出さない」ためであり、
その向かう先は、
「老いも若きも安心して働き生活できる」状態。
つまりは、西成区の通称・釜ヶ崎では、それさえも危うい状態。
さて釜ヶ崎だから、なにやら治安が良くなくて貧乏でみんな野宿しているから「餓死・凍死」と闘わなければならないのか。
こんな活動をしているのは釜ヶ崎(と東京の三谷?)くらいなものかもしれません。
なぜ釜ヶ崎なのか?
ここには日本全土に広がる派遣労働者の実情があります。
日本各地の建築・土木の現場に大いなる労働力を提供してきたのが釜ヶ崎の人々です。ここから皆、バスで「現場」へと移動して働き、終わればまた次の職を求めて釜ヶ崎へと戻ってくる。
そんな歴史のある土地。
いま、道路を使いでビルで過ごし、快適に暮らしている我々の身の回りほとんどすべてに、釜ヶ崎の人々の労働の跡があります。
それが、
経済の不況・高齢化・若年者の中でも失業ー野宿の連鎖、がおきており、
生活保護の締めつけや、ホームレスへの襲撃・虐待などでさらに危機的状況を増してきています。
つまりは、
日本社会の問題がここに顕われている。
身近にあるはずなのに見えなくなっている事柄が、釜ヶ崎では平然と露わになっているのです。
釜ヶ崎の出来事は、自分のいま住んでいるこの社会と繋がっている、と僕は実感しています。
今日、12月28日から「闘争」が始まります。
「一人の餓死・凍死者を出さない」という大袈裟な闘争は、
釜ヶ崎では現実です。
本当に誰も死んで欲しくはない。
その思いは「安心して働き生活できる社会」を創り出していこうとする動きへと繋がります。
リンクの最後に、援助や支援の宛先を付記しています。
もし、お手元に余裕のある方は、ご協力いただけると幸いです。
「釜ヶ崎越冬闘争」概要
http://chienokoyashi2.tumblr.com/post/38952048313/43-2012-12-28-2013-1-7
今日から始まった「釜ヶ崎越冬闘争」は、来年1月7日まで続きます。
年末年始は公共の休日でもあるので、公けの受け入れ先(宿泊施設やシェルターなど)が一斉に閉じてしまい、多くの人々が路頭に迷う事になります。
どう生き抜くか、まさに闘いの年越しなのです。
この紹介を、少しでも身近に受け止めていただけると、嬉しく思います。
冬を越すのに闘わなければならないなんて、大げさな。
と、
思ってしまいますが、
僕のアジトのある、大阪・西成区では真剣な問題なのです。
闘いの目的は、
「一人の餓死・凍死者を出さない」ためであり、
その向かう先は、
「老いも若きも安心して働き生活できる」状態。
つまりは、西成区の通称・釜ヶ崎では、それさえも危うい状態。
さて釜ヶ崎だから、なにやら治安が良くなくて貧乏でみんな野宿しているから「餓死・凍死」と闘わなければならないのか。
こんな活動をしているのは釜ヶ崎(と東京の三谷?)くらいなものかもしれません。
なぜ釜ヶ崎なのか?
ここには日本全土に広がる派遣労働者の実情があります。
日本各地の建築・土木の現場に大いなる労働力を提供してきたのが釜ヶ崎の人々です。ここから皆、バスで「現場」へと移動して働き、終わればまた次の職を求めて釜ヶ崎へと戻ってくる。
そんな歴史のある土地。
いま、道路を使いでビルで過ごし、快適に暮らしている我々の身の回りほとんどすべてに、釜ヶ崎の人々の労働の跡があります。
それが、
経済の不況・高齢化・若年者の中でも失業ー野宿の連鎖、がおきており、
生活保護の締めつけや、ホームレスへの襲撃・虐待などでさらに危機的状況を増してきています。
つまりは、
日本社会の問題がここに顕われている。
身近にあるはずなのに見えなくなっている事柄が、釜ヶ崎では平然と露わになっているのです。
釜ヶ崎の出来事は、自分のいま住んでいるこの社会と繋がっている、と僕は実感しています。
今日、12月28日から「闘争」が始まります。
「一人の餓死・凍死者を出さない」という大袈裟な闘争は、
釜ヶ崎では現実です。
本当に誰も死んで欲しくはない。
その思いは「安心して働き生活できる社会」を創り出していこうとする動きへと繋がります。
リンクの最後に、援助や支援の宛先を付記しています。
もし、お手元に余裕のある方は、ご協力いただけると幸いです。
「釜ヶ崎越冬闘争」概要
http://chienokoyashi2.tumblr.com/post/38952048313/43-2012-12-28-2013-1-7
今日から始まった「釜ヶ崎越冬闘争」は、来年1月7日まで続きます。
年末年始は公共の休日でもあるので、公けの受け入れ先(宿泊施設やシェルターなど)が一斉に閉じてしまい、多くの人々が路頭に迷う事になります。
どう生き抜くか、まさに闘いの年越しなのです。
この紹介を、少しでも身近に受け止めていただけると、嬉しく思います。