畑で生物多様性を思う。
てか、そもそも、
肥料、って必要なんやろかねぇ。
「窒素」
「リン酸」
「カリウム」
って言ってる時点で、すでに何かを見誤ってはしないか。
1800年代から肥料の研究は始まり、
1900年代に化学肥料生産が作られ始めました。
日本でも、同時期に化学肥料が使われ始めたので、
その歴史、およそ100年間。
ヒトの100年の知恵って、いったいどんなもんやろ。
もちろん、ながい歴史のバックグラウンドから発展してきたものにせよ、
100年程度の常識なんて、えらい危ういなぁ。
僕らのおじいちゃんか、そのまた両親の世代から始まったもの。
その途中には、戦争、もあったので、
大きく歪められて伝わったものもあるはずで。
「窒素」
「リン酸」
「カリウム」
を否定するわけではないけれど、
それがまだ、おじいちゃんの頃からの常識だとすれば、まだまだ僕らの手の届く範囲。近い距離。
つまり、これを、「鵜呑み」にしたり、盲目的に従って「思考停止」したままでいる事を危惧しています。
(-_-)
間違いだと判断したり、
捨て去って変化を求めているわけではなくて、
自分のおじいちゃんがやっていた事として、
それを引き継ぐのか、改めるのか。
手元に引き寄せて、いまの畑を考えると、
農作物を「生産物」としてとらえ、それを売買させることによって「しか」生活の糧が得られない状態になっていて、担い手がいない広げ過ぎた畑は次第に荒れてゆく。
(・_・;
それを生み出す祖父母の事情があったし、
それを続ける両親の事情もあったし、
それを当然と思い関心を払わなかった僕らの世代がある。
(そこには、戦争と戦後という、あり得ない緊急事態もある)
誰がいい悪いとか、そんな判断はどーでもよくって、まずは、その現状を認めること。
自分の着てる服が、裏っかえしだったら、
「裏返しに着てる!」て事を、まずは認める。
そして、
それを脱いで着直すか、
そのまま着続けて、新しい個性として通すか。
それくらい、手元に引き寄せての、いまの畑を考えると、
ひとつには、その服をよく眺める。
おじいちゃん達の話しを聴く。
のが、急務やなぁ。
祖父母の歴史・知恵は、このままだとどんどん失われてゆくばかりだからね。
おぉ、みかん畑のとなりの林に藤が咲く。
いまの僕の予想では、「戦争」がテーマになると思います。
戦争の産物としての原子力。それを持続させるための、原子力発電。
均一的な品質を求めてそれを管理するのは、まさに軍隊の思想だし、その延長上にある学校教育。
そうすると、余分なもの、は排除しなくてはならないので、「害」となるものを定義して、排除の矛先を向けるべき「害」を生み出してゆく。
そんな中で、もまれ生きてきた祖父母。そこで育ってきた両親。さらに、それを引き継いできた僕ら。
これらを、
きちんと、
記録に残しておかねば。
つまりは、
肥料を突き詰めてゆくと、
世代間のコミュニケーション問題になるわけですな。
(=゜ω゜)
すげぇ。
んじゃ、実際に畑でどうするか、は、
(後半に続く)
ちなみに、いまの畑は、こんなに草が茂ります。
てか、そもそも、
肥料、って必要なんやろかねぇ。
「窒素」
「リン酸」
「カリウム」
って言ってる時点で、すでに何かを見誤ってはしないか。
1800年代から肥料の研究は始まり、
1900年代に化学肥料生産が作られ始めました。
日本でも、同時期に化学肥料が使われ始めたので、
その歴史、およそ100年間。
ヒトの100年の知恵って、いったいどんなもんやろ。
もちろん、ながい歴史のバックグラウンドから発展してきたものにせよ、
100年程度の常識なんて、えらい危ういなぁ。
僕らのおじいちゃんか、そのまた両親の世代から始まったもの。
その途中には、戦争、もあったので、
大きく歪められて伝わったものもあるはずで。
「窒素」
「リン酸」
「カリウム」
を否定するわけではないけれど、
それがまだ、おじいちゃんの頃からの常識だとすれば、まだまだ僕らの手の届く範囲。近い距離。
つまり、これを、「鵜呑み」にしたり、盲目的に従って「思考停止」したままでいる事を危惧しています。
(-_-)
間違いだと判断したり、
捨て去って変化を求めているわけではなくて、
自分のおじいちゃんがやっていた事として、
それを引き継ぐのか、改めるのか。
手元に引き寄せて、いまの畑を考えると、
農作物を「生産物」としてとらえ、それを売買させることによって「しか」生活の糧が得られない状態になっていて、担い手がいない広げ過ぎた畑は次第に荒れてゆく。
(・_・;
それを生み出す祖父母の事情があったし、
それを続ける両親の事情もあったし、
それを当然と思い関心を払わなかった僕らの世代がある。
(そこには、戦争と戦後という、あり得ない緊急事態もある)
誰がいい悪いとか、そんな判断はどーでもよくって、まずは、その現状を認めること。
自分の着てる服が、裏っかえしだったら、
「裏返しに着てる!」て事を、まずは認める。
そして、
それを脱いで着直すか、
そのまま着続けて、新しい個性として通すか。
それくらい、手元に引き寄せての、いまの畑を考えると、
ひとつには、その服をよく眺める。
おじいちゃん達の話しを聴く。
のが、急務やなぁ。
祖父母の歴史・知恵は、このままだとどんどん失われてゆくばかりだからね。
おぉ、みかん畑のとなりの林に藤が咲く。
いまの僕の予想では、「戦争」がテーマになると思います。
戦争の産物としての原子力。それを持続させるための、原子力発電。
均一的な品質を求めてそれを管理するのは、まさに軍隊の思想だし、その延長上にある学校教育。
そうすると、余分なもの、は排除しなくてはならないので、「害」となるものを定義して、排除の矛先を向けるべき「害」を生み出してゆく。
そんな中で、もまれ生きてきた祖父母。そこで育ってきた両親。さらに、それを引き継いできた僕ら。
これらを、
きちんと、
記録に残しておかねば。
つまりは、
肥料を突き詰めてゆくと、
世代間のコミュニケーション問題になるわけですな。
(=゜ω゜)
すげぇ。
んじゃ、実際に畑でどうするか、は、
(後半に続く)
ちなみに、いまの畑は、こんなに草が茂ります。