朝6時の家庭放送で起床、pm3時には町のスピーカーからラジオ体操が流れる。
実家での生活も一週間、超過疎といってもいいような熊本・阿蘇の小さな町。
姪の小学校の教科書に、高原の生活として紹介されていたほどだ。
人口の減少は、S35(1960)13,600人→S45(1970)10,400、僕もこの時期にこの町を出て行った。
町村合併した今でも8,000人を割っている。(町役場の話では、7,600人、でも山間部からの流入で旧町の人口は横ばいとか)
2日に父の一周忌を終え、一年ぶりにおじおば・いとこたちと昔話に花が咲いた。
当日、母方の農家からは、ふかし饅頭や採れたてのトマト・ナスビ(方言)・キュウリが、それぞれ分担したように持ち込まれる。
この一年は誰も住んでいない築110年以上の旧家だが、隣組の人たちがよく監視してくれていることにいつも感心する。
檀家の年会費の集金、祭りの玄関の使用承諾など、見計らった様に来てくれるのでそれが分かる。
法事の宴席で、2歳下の住職は言う、「この町が発展せんのは、まず人材不足。ロクなもんは残っとらんけん」
全国どこも同じような状況だろう。
今回は、息子(32歳)も僕のいとこ会(ハトコもいっぱい)に参加、熊本城の見える繁華街の下通りで二次会にも同行したが、
「核家族の自分にはふるさとがない」「都会の今の生活とお父さんの実家の生活・考え方の違いがこんなに大きい」と、不思議がる。カルチャーショック!これから彼の中で、異次元の世界の基点のひとつになることだろう。
僕らの世代にとっては、言わずもがな、のことが、息子の世代には別世界のこと。
親父と僕の間も、太平洋戦争を境に、断絶している部分が大きい。
親父からいろいろと聞いてはいたけど、今回の一周忌の帰省で、親父の書き物を見ると、改めてそれを実感した。「私の歩んだ道/家族年表」など、戦前の家長としての目配り、監視していた状況がよく分かる。(几帳面なので、手帳や年表など資料がいっぱいある)
今の仕事で、地方の会社に訪問するが、創業者とその後継者の間に同じことを感じることが多い。
Globalizationという変革の波に洗われている母体は、古い伝統を大切にしながら、必死にもがいているのが現実かも知れない。
過疎の町に住み続けてきた人たちは、全体としてそう実感していて、都市との格差にやりきれない不満を年々強くしているように思える。
そんな思いが、ふっと沸き上がってくる。
今、日本の政治・社会は方向を見失い、国民も自分たちの基盤をどこに求めていいのか手探りの状態。一頃、“地方の時代“ということが喧伝されたけど、道路や箱物だけに終っていることが多いのではないか。
戦後、地方から都市へ、さらに国際化という欲に煽られた上昇志向は、今や得たいの知れないGlobalization の波に逆襲を受けているとも言えるだろう。
温故知新、自分たちの過去を知ることを、これからやっていかなければならない。
日本の歴史、とくに戦前と戦争直後の変化、そして自分たちの先祖の生き方・考え方に目を向けよう。
今日は広島“原爆の日”、TVで平和記念式典のニュースを流している。
おじ・おばが健在な今なら、まだ間に合う。(後期高齢者なんてとんでもない)
そんな思いを、いとこ会でも確認し合うことができた。
実家での生活も一週間、超過疎といってもいいような熊本・阿蘇の小さな町。
姪の小学校の教科書に、高原の生活として紹介されていたほどだ。
人口の減少は、S35(1960)13,600人→S45(1970)10,400、僕もこの時期にこの町を出て行った。
町村合併した今でも8,000人を割っている。(町役場の話では、7,600人、でも山間部からの流入で旧町の人口は横ばいとか)
2日に父の一周忌を終え、一年ぶりにおじおば・いとこたちと昔話に花が咲いた。
当日、母方の農家からは、ふかし饅頭や採れたてのトマト・ナスビ(方言)・キュウリが、それぞれ分担したように持ち込まれる。
この一年は誰も住んでいない築110年以上の旧家だが、隣組の人たちがよく監視してくれていることにいつも感心する。
檀家の年会費の集金、祭りの玄関の使用承諾など、見計らった様に来てくれるのでそれが分かる。
法事の宴席で、2歳下の住職は言う、「この町が発展せんのは、まず人材不足。ロクなもんは残っとらんけん」
全国どこも同じような状況だろう。
今回は、息子(32歳)も僕のいとこ会(ハトコもいっぱい)に参加、熊本城の見える繁華街の下通りで二次会にも同行したが、
「核家族の自分にはふるさとがない」「都会の今の生活とお父さんの実家の生活・考え方の違いがこんなに大きい」と、不思議がる。カルチャーショック!これから彼の中で、異次元の世界の基点のひとつになることだろう。
僕らの世代にとっては、言わずもがな、のことが、息子の世代には別世界のこと。
親父と僕の間も、太平洋戦争を境に、断絶している部分が大きい。
親父からいろいろと聞いてはいたけど、今回の一周忌の帰省で、親父の書き物を見ると、改めてそれを実感した。「私の歩んだ道/家族年表」など、戦前の家長としての目配り、監視していた状況がよく分かる。(几帳面なので、手帳や年表など資料がいっぱいある)
今の仕事で、地方の会社に訪問するが、創業者とその後継者の間に同じことを感じることが多い。
Globalizationという変革の波に洗われている母体は、古い伝統を大切にしながら、必死にもがいているのが現実かも知れない。
過疎の町に住み続けてきた人たちは、全体としてそう実感していて、都市との格差にやりきれない不満を年々強くしているように思える。
そんな思いが、ふっと沸き上がってくる。
今、日本の政治・社会は方向を見失い、国民も自分たちの基盤をどこに求めていいのか手探りの状態。一頃、“地方の時代“ということが喧伝されたけど、道路や箱物だけに終っていることが多いのではないか。
戦後、地方から都市へ、さらに国際化という欲に煽られた上昇志向は、今や得たいの知れないGlobalization の波に逆襲を受けているとも言えるだろう。
温故知新、自分たちの過去を知ることを、これからやっていかなければならない。
日本の歴史、とくに戦前と戦争直後の変化、そして自分たちの先祖の生き方・考え方に目を向けよう。
今日は広島“原爆の日”、TVで平和記念式典のニュースを流している。
おじ・おばが健在な今なら、まだ間に合う。(後期高齢者なんてとんでもない)
そんな思いを、いとこ会でも確認し合うことができた。
あえて浴衣は脱がさずにハメたよw
はだけた浴衣からチラ見するアワビ(笑)がずっとよだれ垂れ流してました( ゜д゜)ポカーン
今月は浴衣女強化月間でやっていきますwwwwwwwwwww
http://pLYdNWv.fe7a4.net/