ご隠居さん:自我や世間の枠にとらわれず、社会の潤滑油となりたいものです。 AI時代は 人間らしい自由な発想がカッコいい

年を重ね、経験を積むにつれ、その時々の思いも変わっていく。その足跡を残しておくために

年寄りの美学

2021年09月07日 | 政治 経済 社会 憲法
最近のニュース2つで年寄りの我執の醜さを実感しています。
1)菅首相の往生際の悪さ
2)池袋暴走老人の頑迷さ
菅さんは叩き上げの苦労人との触れ込みですが、若い頃からブラックの世界で地位を築いてきたんだろうか?
暴走老人 IKさんは在職していた会社に工業技術院から天下り(僕の所属のTOPにも)、いつの間にか専務から副社長になり数年で風のように(笑)出て行った。多分何も成果らしいものはない。
禁固5年の判決が出ても、アクセルではなくブレーキを踏んだ、と無罪を主張する不可解。
M会長の縁らしいが、後にそのM会長以下役員6名が引責辞任(独禁法違反、総会屋、贈賄)、僕もその煽りで早期退職(笑)これもブラックな世界の出来事なんでしょうね。
立花隆さんの東大生への講演を思い出します。
「若い君たちがこれから生きる方向を考える際、1)クリーンな生き方 2)ブラックな世界 3)その両方を行ったり来たり
という大きな視点も忘れないで」と言う趣旨の事を言っていた。
自分を振り返ると、性分上1)だけで突っ走ってきた感じ。2)も3)も視野に入れて1)を選んだと言う自覚が欲しかった気がしています。
上のお二人は、性分上なのか選んだのか知らないが、ブラックな世界に当然の如く深く関わって生きてきたのじゃないだろうか?

首相の退陣で、株価が急騰し儲け損なった、シミュレーション株ですが(笑)
安倍-菅政権9年間の負の遺産の重しがあると言うのに世は楽天的?
新渡戸稲造は、何かをやる前に 何であるかを考えよ、とよく言っていたと言う。(to do < to be )
9年間の成果と言う前に、世界の中の日本丸の位置付けと方向づけに確たる信念が感じられない。理念不在。
出よ、令和の湛山!

新戸部に影響を受けた南原繁(戦後初の東京帝大総長)は教養学部を作り、旧制高校のように専門だけでなく博い教養の必要性を説いた。今でも東大の教養学部は健在、まさにto do < to be !
同窓会の会報を見ながら、to be を求めて過ごした学窓、to do に追われたキャリアを経て、今またto be であるべき御隠居(笑)の我が身を回想しています。
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