ご隠居さん:自我や世間の枠にとらわれず、社会の潤滑油となりたいものです。 AI時代は 人間らしい自由な発想がカッコいい

年を重ね、経験を積むにつれ、その時々の思いも変わっていく。その足跡を残しておくために

たかが○○されど○○

2007年02月02日 | Weblog
仕事で最悪と思えるような結果になったとき、
「たかが・・・」と開き直って、次の目標に向かって行った。

その前に、何でこんなクダラナイ事を自分がやらなくちゃならないんだ!と
わが身を嘆くようなとき、「されど・・・」と踏ん張って耐えようとした。
そういうときは、いつの間にか良い状況に展開し、
思った以上の結果が得られ、仕事のプロセスの中にやりがいも見出せたように思う。
(過去は美しい?)

どんな仕事(役割)でも、良い面/悪い面がある。
好調・不調の波、時には嵐も襲ってくる。

逆境の最中では「されど○○」と諦めないでベストを尽くし、
失敗を見極めたら「たかが○○」と潔く諦めて責任を果たす。

こういう”美しさ”が今の政治家、経営者に見られなくなったことはとても残念に思う。このことは、サラリーマン全般にも言えることかもしれない。
マスコミの表現も、”美しさ”を根っから否定した本性が見える。
きっと自分たちの言葉と思いと行いも”美しさ”とは程遠いのだろう。

柳沢厚労大臣の「女性は産む機械」発言、福井日銀総裁の利殖疑惑、本間税調会長の愛人宿舎問題など、「たかが○○」と言い訳し、「されど○○」と居座る。
マスコミもこれでもかと、似たようなnewsを取り上げる。
何とも見苦しい・・・

城山三郎著で、一昔前の石田国鉄総裁を評した
「粗にして野だが、卑ではない」のような
”美しさ”が懐かしい。

こういうことを、自分の経験を通して後輩や家族に語り継ぐのも
団塊世代の役割かもしれない。
そうでなくては、
今の若者は、内から湧き上がるような希望なぞもてないのではないだろうか。




















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