ご隠居さん:自我や世間の枠にとらわれず、社会の潤滑油となりたいものです。 AI時代は 人間らしい自由な発想がカッコいい

年を重ね、経験を積むにつれ、その時々の思いも変わっていく。その足跡を残しておくために

手付かずの戦前

2007年02月03日 | Weblog
私の親父は、今年で93歳ですが、昨年夏ごろ転倒・骨折で入院、
その後も車椅子の生活で、今は鼻からチューブでの栄養補給の状態が続いている。

30歳で、親の死去により家業を継ぎ(県庁を退職、旅館業に)、まだ10代だった弟妹7人と自分の4人の子育てに家長として、重荷を背負ってきたはずだ。
戦後の家族制度の崩壊の中で、モロにそのギャップを受けた
世代、今の個人主義と核家族では考えられないほど大きいものだろう。

親父の口癖を思い出す。
「戦後コロッと変わったけんねぇ」
「金は天下の回りもんだけん(金儲けがヘタと言われて?)」
「今までそれがガンだったつたい(多分戦前の悪習のことだろう)」
「憲法24条云々:家族水入らずが一番たい(初めて妻と帰省ときのこと)」

政治、国際問題に関心が強く、イラク戦争の情報が地図にびっしりと
書きこまれている。
寒い冬でも、2階のTVで国会中継にくいるように・・・
高校の頃だったか、休みの午後、今から表通りをガラス戸越しに二人の若い外国人。
すると何を思ったか、オヤジが通りに出て若者と何やらw話している。
帰ってくるなり
「日本の民法とナポレオン法典は一緒ばいね」と興奮気味に感心している。彼らが日本語が出来たのか?それにしても、どんな展開でそんな話になったのか、今でも不思議!
数年前、孫の結婚式で上京、
国会議事堂に連れて行ったときは、歴代総理の銅像などに感嘆の声!
(山手線でも手帳にメモ、戦後まもなく都内に暮らしたことがあるそうで、その変化にキョロキョロ)
実家に帰ってからの国会中継でも
そのときの衆院議場を身近に感じていたようだ。
でも、なぜか靖国神社には関心が薄かった。

片田舎の旅館の主としては、
進歩的、理想家で、その分 処世術とか経済観念には
疎く、これといって稼ぎのない壮年期を過ごしてきたと言える。
多分、大正デモクラシーの雰囲気の中で、多感な10代を過ごしてきた影響が大きいように思う。
30代には、第一期町議、消防団長や保健所創設などやったらしいが・・・
(そのせいで、母や自分たち子供は経済的には苦労した点も多いが、
今となっては精神的な遺産に感謝)

戦後60年、安倍首相の言う「戦後レジームからの脱却」「美しい日本」
とは、逆に言うとこれまで無視してきたものを見直すことでもあろう。

戦前を否定して(国家観、家庭の無視)できたともいえる日本国憲法、教育基本法や経済・お金万能主義に毒された今の日本社会に対して
いろんな見直しが行われようとしている。

この見直しは、戦後60年の総括だけではおかしいものになる。
戦前の良さ・悪さを占領軍ではなく、国民自身で総括することが
大切だと思う。(拙速な改正にならなければいいが・・・)

自分にとって、戦前を知ることは親父を知ることでもある。
とくに大日本帝国憲法、教育勅語、明治民法については、
戦後の教育でほとんどインプットされていないが、
グローバル化した現代だからこそ、とても参考にすべき点が多い。

僕にとって”手付かずの戦前”とも言える親父が、
古い資料や墓所のことなどで、
何を言いたかったのか、何が心残りだったのか、
限られた時間の中で聞いて、理解したいという気持ちが強くなっている。

そして、今度は息子や初孫の世代にも役割として伝えて
行きたいものだ。
























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