
一ケ月後の米大統領選を控え、世界はますます混沌としてきた。
アメリカの抱える問題が、貧困、軍事、移民、環境、財政など多面的に破綻してきた事実があぶりだされてきた感じがする。
次の浜矩子さんの記事(2016.10.15毎日)が問題の本質を突いているように思う。
「史上最低コンビのアメリカ大統領選」:
共和党のトランプ:
口を開けば差別と侮辱といい加減な発言しか出てこない超軽薄オヤジ。
かたや、民主党のクリントン:
口を開くたびにウソが飛び出すとレッテルを貼られた隠ぺいオバサン。
低人気もさることながら、低見識が目に余る。本当にこの人たちしかいなかったのか?
アメリカの「知性の荒廃と建国の魂の弱体化」が根本にあるのではないか?
アメリカ政治の“日本化”を見ているようだ。(とくに今の安倍内閣)

わずかに、民主社会主義を標榜する民主党のバーニー・サンダースが党の候補として出現して、多少とも変化を求める”知性と魂が躍動”した面があった。
サンダース氏は、格差社会が増大する中で、貧困層に落ちつつある人々の魂に共感を与え、今なお彼の追求する社会を求めている多くの支持者がいるという。
第23代大統領ベンジャミン・ハリソンの言葉
「パン生地をつくる職人が飢え死にする。そこまで安価なコートを必要とする人々は哀れだ」
サンダースの求める社会は、そんな人々がいない社会でもあろう。

★下記は2008.11.9の記述:
アメリカは1990年代ポスト冷戦後、「世界の警察官」として世界に君臨し、軍事力を背景に政治・経済・社会をリードしてきた。
しかし、9/11テロ、イラク戦争を経て、2008世界金融危機(リーマンショック)の発信地として内外の経済問題にあえぐ今、急激にその威信は失われた。
大統領選でも、オバマ次期大統領は「丘の上に輝く町」になるべきだ、と訴えた。
1980年、レーガンの大統領選出馬の際も、米国は他の国の模範となる特別な存在、輝ける「丘の上の街」と理想を掲げている。
これは聖書からの引用で、17世紀前半、ピューリタンがアメリカ上陸の際にも「我々は丘の上の町になるべき・・・」と建国以来のアメリカの理想像! とされていると言う。
聖書マタイ伝;5-14
「あなた方は世の光である。山の上にある町は隠れることができない」
さらに5-16「このようにあなた方の光を人々の前で輝かせ、人々があなた方の良い行いを見て、天におられるあなた方の父をあがめるようにしなさい」
アメリカは堕落してはいけない、常に世界の注目の中で、繁栄を続けて行こう!という使命感を国民が共有しているのかも知れない。
その心意気や良し、でも独りよがり過ぎないか?もっと国内の"病める現実"を見た方が良い。
これに対して、日本はどうか?
先週訪問した自動車部品メーカーの社長さん曰く、「一隅を照らす経営を大事にしてきました」これこそ日本人の心の原点に思える。
そういえば、育児でも、アメリカは 「人の役立つ人間に!」と外向きだが、日本では 「人に迷惑をかけない人間に!」と、つつましい。(今は人に負けない人間に?だろうか)
今回の世界金融危機は、アメリカのサブプライムローンの焦げ付きが発端と言われる。低所得・通常のローンができない人を対象にした証券化→金融機関に転売→住宅バブルの崩壊→巨額の焦げ付き→証券化商品の暴落→転売で巨大金融機関が巨額損失。さらに、金融機関の破綻→第4位のリーマンB.を初めとする投資銀行の破綻。 これらの債権に投資していた中国などの新興国を含む世界中の金融機関にまで広がった。
11/中にアメリカでのG20金融サミットでも、アメリカは「規制強化は、経済の活性化をそぐ、自由経済が基本!」と、反省のかけらも感じられない。
財政赤字と経常赤字という”双子の赤字”があるのに、アメリカがこれほどの繁栄を謳歌してきた背景として、圧倒的な軍事力や経済力(詳しくは消費力か?)が大きいといわれる。
財政赤字は、米国債を日本、中国はじめ諸外国に引き受けさせ、経常赤字は輸入品と引き換えに外国メーカーにドルをばらまいてきた。
さらに、基軸通貨ドルが株式市場に再投資され、アメリカが牽引する形で、世界の経済成長を支えてきたと言っても過言ではないだろう。
今やドル安の恐怖が、日本はじめ米国債など外貨保有国を襲っている。ドルの暴落で紙くずになってしまうかもしれない?
アメリカ型の市場主義でいう”自由”とは、「規制以外は何をしても良い」というニュアンスらしい。
昨今の野放しのような新自由主義がはびこったのも分かるような気がする。
これに対して、日本では、「規制は最低守るべきレベルで、その中での自由」
考え方が、まるっきり違うことが実感できる。
端的に言えば、アメリカ型の新自由主義は、投資を超えて、投機で金を集め、経済を活発にしょうとしたゲーム感覚のような政策の結果として金融バブルを生んだ。
今回のアメリカ発の世界金融危機は、”アメリカの没落”への始まりになって行くように思えて仕方がない。
米:国家情報会議が出した「世界の潮流2025」では、政治・経済的な力で、まだアメリカの1位は揺がず、日本は第2位から第4位に。(第2中国、第3インド)
*司馬遼太郎の新聞連載「アメリカ素描」でのウォール街の見聞記:
証券市場関係者は、投資1割、あとの9割はバクチの投機家と知って、次のように書き残している。「モノを作らなくなり、カネの数理だけで儲けていくことに、将来亡びる不安がつきまとう」・・・今日の金融危機を1985年時点でお見通しだった。
*公用語=英語の問題
アメリカの軍事力と経済力の証として、ドルと英語がある。
しかし、ドルはすでに失墜し、公用語としての英語もこれから崩れていくかも知れない。先日のノーベル物理学賞の受賞記念講演で、益川教授はすべて日本語で通し、委員会も日本語で祝辞を送ったことにも、その兆候が見られる?
EU各国は、ユーロは統一しても言語は"独自の文化"の一部としてEU内の公用語として統一の気配はないという。彼らにしてみれば、英語がのさばっている現状で、 益川教授の日本語での講演は、大いに溜飲を下げたというところか。
アメリカの抱える問題が、貧困、軍事、移民、環境、財政など多面的に破綻してきた事実があぶりだされてきた感じがする。
次の浜矩子さんの記事(2016.10.15毎日)が問題の本質を突いているように思う。
「史上最低コンビのアメリカ大統領選」:
共和党のトランプ:
口を開けば差別と侮辱といい加減な発言しか出てこない超軽薄オヤジ。
かたや、民主党のクリントン:
口を開くたびにウソが飛び出すとレッテルを貼られた隠ぺいオバサン。
低人気もさることながら、低見識が目に余る。本当にこの人たちしかいなかったのか?
アメリカの「知性の荒廃と建国の魂の弱体化」が根本にあるのではないか?
アメリカ政治の“日本化”を見ているようだ。(とくに今の安倍内閣)

わずかに、民主社会主義を標榜する民主党のバーニー・サンダースが党の候補として出現して、多少とも変化を求める”知性と魂が躍動”した面があった。
サンダース氏は、格差社会が増大する中で、貧困層に落ちつつある人々の魂に共感を与え、今なお彼の追求する社会を求めている多くの支持者がいるという。
第23代大統領ベンジャミン・ハリソンの言葉
「パン生地をつくる職人が飢え死にする。そこまで安価なコートを必要とする人々は哀れだ」
サンダースの求める社会は、そんな人々がいない社会でもあろう。

★下記は2008.11.9の記述:
アメリカは1990年代ポスト冷戦後、「世界の警察官」として世界に君臨し、軍事力を背景に政治・経済・社会をリードしてきた。
しかし、9/11テロ、イラク戦争を経て、2008世界金融危機(リーマンショック)の発信地として内外の経済問題にあえぐ今、急激にその威信は失われた。
大統領選でも、オバマ次期大統領は「丘の上に輝く町」になるべきだ、と訴えた。
1980年、レーガンの大統領選出馬の際も、米国は他の国の模範となる特別な存在、輝ける「丘の上の街」と理想を掲げている。
これは聖書からの引用で、17世紀前半、ピューリタンがアメリカ上陸の際にも「我々は丘の上の町になるべき・・・」と建国以来のアメリカの理想像! とされていると言う。
聖書マタイ伝;5-14
「あなた方は世の光である。山の上にある町は隠れることができない」
さらに5-16「このようにあなた方の光を人々の前で輝かせ、人々があなた方の良い行いを見て、天におられるあなた方の父をあがめるようにしなさい」
アメリカは堕落してはいけない、常に世界の注目の中で、繁栄を続けて行こう!という使命感を国民が共有しているのかも知れない。
その心意気や良し、でも独りよがり過ぎないか?もっと国内の"病める現実"を見た方が良い。
これに対して、日本はどうか?
先週訪問した自動車部品メーカーの社長さん曰く、「一隅を照らす経営を大事にしてきました」これこそ日本人の心の原点に思える。
そういえば、育児でも、アメリカは 「人の役立つ人間に!」と外向きだが、日本では 「人に迷惑をかけない人間に!」と、つつましい。(今は人に負けない人間に?だろうか)
今回の世界金融危機は、アメリカのサブプライムローンの焦げ付きが発端と言われる。低所得・通常のローンができない人を対象にした証券化→金融機関に転売→住宅バブルの崩壊→巨額の焦げ付き→証券化商品の暴落→転売で巨大金融機関が巨額損失。さらに、金融機関の破綻→第4位のリーマンB.を初めとする投資銀行の破綻。 これらの債権に投資していた中国などの新興国を含む世界中の金融機関にまで広がった。
11/中にアメリカでのG20金融サミットでも、アメリカは「規制強化は、経済の活性化をそぐ、自由経済が基本!」と、反省のかけらも感じられない。
財政赤字と経常赤字という”双子の赤字”があるのに、アメリカがこれほどの繁栄を謳歌してきた背景として、圧倒的な軍事力や経済力(詳しくは消費力か?)が大きいといわれる。
財政赤字は、米国債を日本、中国はじめ諸外国に引き受けさせ、経常赤字は輸入品と引き換えに外国メーカーにドルをばらまいてきた。
さらに、基軸通貨ドルが株式市場に再投資され、アメリカが牽引する形で、世界の経済成長を支えてきたと言っても過言ではないだろう。
今やドル安の恐怖が、日本はじめ米国債など外貨保有国を襲っている。ドルの暴落で紙くずになってしまうかもしれない?
アメリカ型の市場主義でいう”自由”とは、「規制以外は何をしても良い」というニュアンスらしい。
昨今の野放しのような新自由主義がはびこったのも分かるような気がする。
これに対して、日本では、「規制は最低守るべきレベルで、その中での自由」
考え方が、まるっきり違うことが実感できる。
端的に言えば、アメリカ型の新自由主義は、投資を超えて、投機で金を集め、経済を活発にしょうとしたゲーム感覚のような政策の結果として金融バブルを生んだ。
今回のアメリカ発の世界金融危機は、”アメリカの没落”への始まりになって行くように思えて仕方がない。
米:国家情報会議が出した「世界の潮流2025」では、政治・経済的な力で、まだアメリカの1位は揺がず、日本は第2位から第4位に。(第2中国、第3インド)
*司馬遼太郎の新聞連載「アメリカ素描」でのウォール街の見聞記:
証券市場関係者は、投資1割、あとの9割はバクチの投機家と知って、次のように書き残している。「モノを作らなくなり、カネの数理だけで儲けていくことに、将来亡びる不安がつきまとう」・・・今日の金融危機を1985年時点でお見通しだった。
*公用語=英語の問題
アメリカの軍事力と経済力の証として、ドルと英語がある。
しかし、ドルはすでに失墜し、公用語としての英語もこれから崩れていくかも知れない。先日のノーベル物理学賞の受賞記念講演で、益川教授はすべて日本語で通し、委員会も日本語で祝辞を送ったことにも、その兆候が見られる?
EU各国は、ユーロは統一しても言語は"独自の文化"の一部としてEU内の公用語として統一の気配はないという。彼らにしてみれば、英語がのさばっている現状で、 益川教授の日本語での講演は、大いに溜飲を下げたというところか。
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