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江戸から学ぶ

2018年04月24日 | 私生活 雑感
一昨日、法政大で「日本問答・江戸問答」田中優子学長(かねてからの一ファン)の講演と対談に大いに刺激されました。
会場は、中高年の男女300人位で満席、ところどころ着物の女性も目立つ。
今年 明治150年、各地で盛り上がっているようですが、明治維新は功罪合半ば、安倍政権のように薩長史観を礼賛する単純な見方はおかしい。江戸150回忌という視点も大事だ。その流れで、江戸の良さを見直そうという動きがあるので、 興味を持って参加しました。明治で性急に西洋を取り入れ、戦後はアメリカ仕込みの民主主義を木に竹を接ぐように植え付けられ、伝統から離れた形で、保守から革新まで分断が進むかのような現在の日本。その中で今回、法政大が「江戸東京研究センター」を立ち上げ、江戸東京学をベースにグローバル時代をリードせんとする挑戦!
A.トインビーの「21世紀は東洋の時代」という未来予見を思い出す。
西田幾太郎の「無の哲学」も、デカルトに始まる西洋合理主義、客観的な哲学の様に体系化されにくい特徴を持っているが、日本発の唯一の思想と言われる。
江戸の歴史を引き継いだ東京という大都市、自然との共生、町民文化の爛熟、江戸っ子のいき(京都の粋)、水路の都市(水の入り口=水都江戸)etc.etc.、確かに古代からの日本民族の伝統を編集(普遍性でない組み合わせとか)してきた魅力があり、奥が深い。 対談の主題の一つ、共存・安定した二面性をデュアルスタンダード(dual standard)と呼び、対立やダブルスタンダードという既成の概念でなく、日本独自の発想として評価する手法に共感を覚えました。複眼的思考法にも通じる。
そういえば、自然界は惑星の軌道など楕円や放物線運動で安定しており、一点を中心とした円運動は変化に脆弱でむしろ例外、という説がある。
例えば、漢と和、神と仏(神仏習合)、公家と武家、内と外の間のあいまいな境界(ええ加減)、世間というモノサシなど、知識や理論化しにくい特徴を「日本発の新しい発想と概念」として、研究する拠点をめざしているという。
「あだな深川 おきゃんな神田」という繊細な多様性、「結構です」というあいまいな言い方でうまく収める社会、、、
財務省セクハラスキャンダルの福田事務次官の言葉遊びは、この悪用例でしょうか。
世界は今、民主主義、資本主義、科学技術、西洋論理哲学などに支えられた西洋文明に対する閉塞感が漂っているのは間違いないだろう。 その中で、日本をグローバル視点だけではなく、新しい発想で捉えることは意味があると感じました。
私事でも、2000年からグローバルスタンダードISOマネジメントシステムの仕事をやってきて、日本的経営・職業感のユニークな面とのギャップを痛感することが多く、まさにここでいうdual sutandard的な”良いとこどり”でつじつまを合わせて来た感がある。日本のユニークな「人を大切にする経営学会」とか「社員の幸福をめざした経営理念」etcは、グローバル的ではないとも言えるが、持続可能で普遍的なVisionとなり得ると、いつも感じていた次第。
法政大については、校名から法律関連が中心かなと思っていたが、人文系学科や反戦宣言など、ダイナミックで自由な校風を感じました。今回も、onlineで松岡正剛「イシス編集学校」を紹介、情報編集など理系文系を融合した社会人との創造共同体の場づくりを目指しているようです。春コースは、守破離の「守」で108,000円、あと「破」「離」コースと続くので、ちょっと敷居が高そうで、興味はあるものの今回は遠慮しました。
講演の前、代々木公園の「アースデイ東京2018」に立ち寄った。
自然活動家 ニコルさんの森の話から、明治神宮の森の冷気を味わって納得しました。
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