ご隠居さん:自我や世間の枠にとらわれず、社会の潤滑油となりたいものです。 AI時代は 人間らしい自由な発想がカッコいい

年を重ね、経験を積むにつれ、その時々の思いも変わっていく。その足跡を残しておくために

証人喚問と悲哀

2018年03月28日 | 政治 経済 社会 憲法
昨日は話題の証人喚問、マスコミも国民も大きな関心を持って見守ったが、刑事訴追の恐れがある、と肝心な点は証言拒否に終わった。
そのせいか、今朝がた後味の悪い夢を見ました。
社会に蔓延する忖度サラリーマン社会の悲哀、古くて新しい組織と個人の問題を思うと、、、。
周りは、正直に言うべきとか、保身に汲々としている、とか批判するが、自分のサラリーマン時代を思い返してみているのだろうか?
目の前に5000万円の退職金をぶら下げられて、文書改ざんの刑事訴追もうまくかわし、いずれは天下り先を用意する、という甘いささやきがあったとしたら、、、
まして、幼い頃父親を亡くし、勉強しか取りえのない(?)ガリ勉君が、競争第一で東大、大蔵省というコースを一進に突き進んできたという生い立ちを考えると、さもありなん!と同情すら覚える。(NET情報では、上に弱く下に厳しい、典型的な出世第一のタイプらしい??)
自分のわずかな経験でも、こんな人たちは、身の回りにいっぱいいました。若い頃、組織と個人の問題のギャップに失望した記憶が鮮明です。
今の社会は、この傾向がもっと進行している気がしています。官民問わず、息苦しい職業生活を余儀なくさせられている人たちが多いのでは?と、現役世代が可哀そうになってくる。
役所であれ企業であれ、組織の頂点に立つ者はこの悲哀を感じて、使命感を持って欲しいと切に願う。
この問題は、変質し続ける教育現場や輪切りにされた偏差値頼りの受験制度、日本の雇用慣行の闇が背景にあるように思えて、実に後味が悪いのだ。
佐川さんには(安倍首相、麻生さん、菅さんの反知性トライアングルにも)、背伸びしないで、欲を抑えれば、新しい価値観と世界が開けることを知って欲しいと願うばかりです。元サラリーマン(笑)

実は、先の日曜に妻に誘われ、近くの教会の「受難節コンサート礼拝」に行ったが、その時の事を思い出した。説教は、当然 ゴルゴダの丘でのイエスの処刑がテーマ。磔の刑の十字架は3本、2人の罪人の1人は「他人を救えるのなら、今の自分を救ってみろ」とイエスを最後まで罵るが、イエスは「彼はまだ知らないのです」と赦しを与えて息を引き取る。この日金曜日の3日後、イエスは予言通り復活する。4/1からは復活祭イースターが始まる。
悔い改めにより、ひと時でも、救い主を信じれる国が羨ましい。
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