ご隠居さん:自我や世間の枠にとらわれず、社会の潤滑油となりたいものです。 AI時代は 人間らしい自由な発想がカッコいい

年を重ね、経験を積むにつれ、その時々の思いも変わっていく。その足跡を残しておくために

幼稚園のマラソンと縄文海進

2013年01月27日 | 私生活 雑感
孫の幼稚園マラソンで 富士見市の水子貝塚公園に初めて行った。
こんなところに 貝塚??まさかあの海近にある貝塚?
プレート地図と説明板によると、5000-6000年前(縄文時代)は、現在の大宮、浦和まで東京湾(奥~)が入りこんでいたという。
荒川沿いの低地は 海だった!
一帯に多くの貝塚が発掘されている。
”縄文海進(じょうもんかいしん)”と呼ばれる説では,
縄文前期(今から6000年前)に海水面の上昇がピークになり、海面が今より2-3m高くなり、日本列島の海に面した平野部は深くまで海が入り込んでおり、香取海や奥東京湾を造った。気候は現在より温暖・湿潤で年平均で1~2℃気温が高かった。
縄文海進は、貝塚の存在から提唱されたもの。
海岸線付近に多数あるはずの貝塚が、内陸部でのみ発見されたことから”海進説”が唱えられた。当初は、日本で活発に起きている火山噴火や地震による沈降説も唱えられたが、その後、海水面の上昇が世界的に発生していたことが確認され裏付けられた。
別名「有楽町海進」、「完新世海進」、「後氷期海進」とも言われる。
日本列島は、ヨーロッパ大陸に比べ造山活動が収まってからの年月が浅い。とくに現在の海岸線は軟弱地盤が多く、
原発立地として危険だ、というのは理解していたが、、、

この公園には、縄文時代の竪穴式住居跡が発掘され、公園の芝生にいくつか再現されている。
穴を掘り、柱で三角屋根の骨組みを作り、茅葺きで雨風を防ぐ構造でよくできている。
近くの川沿いにも、縄文遺跡があり、犬とよく散歩に利用させてもらっている。
資料館には、発掘土器の展示、発掘状況やその遺跡が忠実にモデルで保存・されている。
体験学習もでき、火起こし、まが玉づくり、土器づくりなど珍しいイベントの案内がある。

マンションや電子おもちゃ、アニメなど人工的な環境に育っている子どもたち・・・
縄文人が、魚や貝を取り、木の実を食べ、石の器具で猟をしていた時代が、身近に感じられる。
こんな自然や縄文の生活体験ができる施設は、とてもありがたい。
公園の周囲には縄文時代の森が復元され、コナラ、クリ、クヌギ、ケヤキなど、武蔵野の風情がたっぷり。

☆ 悠久の昔に想いを馳せてみる(上宮真人著「盗まれた国書」「英雄の研究」読後メモより) 
紀元前2000-3000年ごろ、ユーラシア大陸から”縄文文化”が入ってきて、漁と森の生活を営んできた。
縄の土器(縄文)に自由奔放な縄文人がイメージできるという。
BC3世紀ころ、中国の江南?地方から朝鮮半島を経て、北九州に”倭人”が来て稲作が普及(弥生文化)
土地の所有が進み、AD2-3世紀ころ、フン族・ツングース族の民族移動で高句麗・百済・新羅の攻防
⇒北九州、山陰に上陸⇒”倭人”を支配する豪族となる。
これが大和朝廷の源という説。
縄文文化と縄文人は、”倭人”の渡来により、南九州(隼人、熊襲)と東北(蝦夷)とに分断され、
倭人の支配地では「山の民(狩猟生活)」として山岳部に籠ったという説も興味深い。
こういう説によれば、縄文文化には、人間本来の生活の営み(環境への適応)と自然思想があるように感じる。 ☆

肝心のマラソン:
下の子(年少さん)のクラスには、転んでひざをスリムキ、最後まで泣きじゃくる子もいる。
上の孫(年長)たちは、一周580mをクラスごとに走っていたが、みんな完走 !
自然の中で若い母親たちも底抜けに明るく、楽しそう ♪
各クラスの担任の先生が、みんなガンバッタね」と着順の札を渡しているのも微笑ましい。
下の孫も「2」の札を見せて、得意そう。
おっとりしているのでビリ争そいかなと思っていたが、正直びっくりした。
すばらしい公園でマラソン大会を 企画してくれて 幼稚園のみなさんに感謝。
園長先生も、シャッターチャンスを求めて、走り回っておられた。

公共工事の一環で、道路、公園、図書館、文化会館、プールなど、立派な施設が整ってきている。
国も地方も、財政赤字で大変だが、どれくらいの人が公共施設を利用することで、その恩恵を実感しているだろうか?
民主党の「コンクリートから人へ」
自民党の 懲りない「人からコンクリートへ」というイメージではなく、
「人のためのコンクリート・公共工事」という現実も確かにあるはず。
僕の場合、公園だけでなく、3つの図書館、週一の市営コート、スポーツセンターのプール、市民講座など
若いころから結構 利用している。
今回初めて”縄文海進”に触れた様に、まだ知らない世界ばかりだ。知る事で知らない事が増えて行く。
せっかく身近にある公共施設を、生涯学習の場として、もっと利用して行くことも豊かな生活につながる。
これからめざすべきは、かけ声だけ(?)の「経済成長」というより、「成熟社会」への道であってほしい。














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