ご隠居さん:自我や世間の枠にとらわれず、社会の潤滑油となりたいものです。 AI時代は 人間らしい自由な発想がカッコいい

年を重ね、経験を積むにつれ、その時々の思いも変わっていく。その足跡を残しておくために

戊辰戦争150年

2018年07月18日 | 旅 行事
先週 仕事でいわき市に行ってきた。
早めにいわき駅に着き、相棒を誘って、駅近の磐城平城趾を散策。
駅の案内板に「戊辰戦争150周年記念事業」の説明がある。
磐城平城は、関ヶ原の戦いの前、上杉征伐に北上した家康の留守居として、三成の挙兵から伏見城を守って戦死した側近、鳥居元忠の功を称え、息子の忠政に10万石の所領を与えたものという。
以来、鳥居〜内藤〜井上〜安藤と藩主は変わっても、譜代大名として徳川に忠誠を尽くし、幕末も奥羽越列藩同盟の一つとして、薩長を中心とする新政府軍と戦った。
結果は周知の通り、新政府軍の圧勝となり、明治維新に突き進むことになる。
現在、天守跡は石碑と展望ハシゴがあるだけだが、復元の計画があると言う。
平藩は、徳川幕府の老中を務めるなど、最後まで佐幕を貫き、朝敵:逆賊として 新政府軍に徹底的に打ちのめされた。
「義は我が方にあり」列藩同盟の無念さは、会津戦や白虎隊の決死、函館の五稜郭の戦い、二本松城の少年兵の自決など、今も悲劇としてだけでなく、郷土の誇り:美談として語られている。
「勝てば官軍、負ければ賊軍」
明治維新から150年経った今、一面的な成功物語だったという見方にも共感できる。

「仙台藩は賊軍にあらず」
仙台でも、戊辰150年記念を機に、もう一つの維新を知るイベントがあることを、ラジオで知った。
サラリーマンだった木村紀夫氏は、定年後10数年間かけて、丹念に史実を調べ、郷土史「仙台藩の戊辰戦争」2巻にまとめたという。
いかにも東北人らしい。
「賊軍」として肩身の狭い思いをしてきた仙台藩士の子孫は、「これでやっと道路の真ん中を歩ける」と喜んでくれたという。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ご隠居さんと子どもの日 | トップ | コスタリカの奇跡 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿