ご隠居さん:自我や世間の枠にとらわれず、社会の潤滑油となりたいものです。 AI時代は 人間らしい自由な発想がカッコいい

年を重ね、経験を積むにつれ、その時々の思いも変わっていく。その足跡を残しておくために

年末帰省

2006年12月26日 | Weblog
昨日から熊本、阿蘇の実家に恒例の帰省。 
”帰省”の意味:
=帰家し、定省する→定省:昏定農省(こんていしんせい)
→日暮れには、父母の寝床を定め、明には安否を省みる」とか。

実家は空き家の状態で、キーNO.を回して真っ暗な中だが、
カッテ知ったる我が家・・
去年の今頃、母82歳の痴呆が進んでいることが分かり、
脳検査などの末
年初から今の介護施設にお世話に。

一方、92歳の父は大きな家で(築100年超の旅館だった)一人暮らし??
実は全くの自活力無し、近くに住む弟の世話で何とか過ごしていたが、
夏ごろ転倒し、骨折入院その後リハビリ施設にお世話に。

仏壇のある座敷で寝付きながら、子供のころのことがワァッと浮かんでくる。
この古びた仏壇は、生死病苦などいろんな人生を見守ってくれた。
祖父母、9人のおじおば、そして従業員(昔女中さん)
その先には元禄など江戸時代からの墓石に刻まれたご先祖がいる、
という訳だ。

小さいころ、誰にも分からない悪いこと(たとえば万引き遊び)
をしたときなど、
「ご先祖に対して申し分けない」
という漠然とした畏れを感じていたことを思い出す。

核家族の今、自分の家には仏壇も神棚もない。
子供たちには”変らない時空を超えた何か”が要るのではないか?
せめて、この家の大黒柱と大きな梁は何とか残しておきたいものだ。

昼間だけ、施設から母を連れ帰り、一緒にとんこつラーメンや
ホットケーキを作りながら、悔いのない時を!
と切に思う。















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先祖 (僕酔伝)
2007-01-04 19:36:01
我が家は、両親他界し、長男だが仏壇も神棚もない。お袋が他界した時に兄弟5人で、先祖代々の墓に納骨の後、永代供養をお願いした。
自信はないが、自分がシッカトした生き様を持てば、子供達は付いて来るのではないかと思っている。
その点“償い”家も大丈夫だと思うが如何。
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