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年を重ね、経験を積むにつれ、その時々の思いも変わっていく。その足跡を残しておくために

第3の開国

2011年01月31日 | 私生活 雑感
菅首相は、施政方針や昨日のダボス会議で、TPP(環太平洋連携協定)の推進を中心とする第3の開国を主張している。
第1:明治維新、第2:太平洋大戦の敗戦後の復興、そして閉塞感漂う現状からの脱皮を第3の開国と位置づける。
実際には、日本も1995年GATTから発展させたWTO(世界貿易機関)発足と同時に加盟、二国間のFTA(自由貿易協定)、EPA(経済連携協定)をいくつか締結し、少しづつ開国しているが、輸出企業を中心に保護(とくに農業に対する)が強すぎるという声が強い。
先週、仕事で安中市に向かう車中、読みかけの本でたまたま新島襄の生まれ育った地だと知った。
その中で、新島伝説「新島が憂国の士としてアメリカに渡り、キリスト教を通じ民主主義・デモクラシーによる教育を行った先駆者だ」ということに異論を提していた。
すなわち、下級武士の子弟であった新島は幕藩体制の崩壊の中で、学問による能力主義に期待する。
14歳最年少で抜擢され、蘭学を学ぶが、藩主の交代に失望、さりとて国家・天皇に仕えるという忠誠心も失せた。
そうして、幕府の軍艦操練所に入り、偶然にも函館に航海、その機会に小舟に乗りアメリカ船に乗り込みアメリカに渡る。
当時の「尊王攘夷」は、天皇を尊敬し、外国を打ち払う、そのために開国し、東洋の精神を基に西洋の技術(特に軍事)を取り入れる、方向に向かう。
富国強兵を軸に外国と対決していく、という和魂洋才の考え方が主流だった。
佐久間象山、その弟子吉田松陰もそういう流れにある。
ところが、新島には「閉塞した自分を解放する西洋」つまり「藩とか国家という束縛からの個人としての自立」への強い思いがあったのではないか、と言う。
そして、10年ぶりに帰国し、安中教会、英学校を経て、その翌年に同志社を創設(1874年)することになる。
「西洋文明の起点は、キリスト教の人間観にある。この教育による日本の近代化」をめざす。
これに対し、福沢諭吉は「科学の精神とくに物理学、これによる近代化」という違いがあったという。

留学中に、明治政府の岩倉使節団からの協力要請にも一線を引き、報酬による契約関係で協力する。
滅私奉公を嫌い、自由人の立場をとった。
宗教家として面目躍如たるものがある。

同じ、群馬県の高崎藩士の子弟である内村鑑三の生き方にも通じるものがある。
彼は、アメリカに渡り、キリスト教を学ぶが、狭量すぎる教えと教会の在り方に失望し、帰国してからは無教会派を結成する。
日本人のアイデンティティを重視、日清戦争に関しては「日清戦争の義」をキリスト教国:欧米列強に向けて主張。
しかし、日露戦争については、非戦論に転じた。
神国とか国益とかの建前で、国民が苦しめられることを嘆いたからだという。
日清戦争に勝ち、軍人の驕りに、家庭の幸福が破壊される本質を見抜き、日露戦争に反対した。
その後の満州事変、太平洋戦争を予言したとも言える。
内村鑑三の時代(1861-1930)すでに"和魂"という日本独自の精神は失われていたと言われる。
そのことは第2の開国、民主主義による戦後復興で加速したかのように今日に至っている。
内村は、西洋の(とくにアメリカ)「いわゆる教会:一種の政府、政党のようなもの」を避け、自由な信仰の場を説き、それを無教会と称した。彼は、名著「余が如何にして基督教徒となりし乎」でも、日本に派遣された宣教師たちが一方的に教義を押し付けることを批判している。
彼が北原白秋、島崎藤村らに講演した中軽井沢に、その意志を表現した”石の教会”がある。
成人の日の3連休、軽井沢旅行の途中で偶然知り、立ち寄った。
芋虫状のドームが地下に潜り込み、その中に礼拝堂と鑑三記念堂がある。
日本人のキリスト教とは何か?を追及した姿勢に共感を覚える。
「私は2つの”J”を愛する。一つはイエス(Jesus)、もう一つは日本(Japan)である」と刻まれている。

globalizationの圧力に呑まれているかのように、第3の開国の精神的な起点ははっきりしないままだ。
新しい時代の”和魂”とは?
もうそんなものは必要ないのだろうか?

































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2 コメント

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拝読 v(^^)v (sotto-voce)
2011-02-02 02:13:42
アップされた画像は”石の教会”でしたか。

間接的にMiさんより軽井沢・内村鑑三記念堂での話を聞きましたが、こうして読ませていただくと「憧れ」のような感じを覚えます。
今の時代にこのような礼拝堂があったら・・・

>日本人のキリスト教とは何か?を追及した姿 勢に共感を覚える。

そうですか・・・よく解りませんが・・・もしかしたら私も共感を覚えたいかもしれません。

アイデンティティの一貫性と終生における発達性を伴いつつのそれは、与えられた教育と生育歴と選択しつつ歩んだ自らの人生の総体に於いて育まれるのだと思います。
無意識的に、また、押し付け的な影響力に支配されている部分と、アイデンティティを確立できるまでに選択した範疇との対極にあるとすると、借りもの風あるいは先人をなぞっての部分が殆んどを占める気がします。(私の場合はですが。)

理解できなくても信じる~って一歩誤ると危険ゾーンですよね。
しかし、「向こう側から与えられ、時空を超えたところよりの精霊の御働き」などと聴くと、根拠なしの抗えなさに身を置いてしまうのです。

あぁ~~悩ましい限りです。
某会議にて「どうかお元気なうちにご奉仕を」との役員の発言に脳が拒否反応を起こし、自己陶酔的な「教会の描写」の日々の記録を消したくなり、二年間もの暮らしの記録(思考の記録)をネット上から排除してしまいました。
(後悔はしていませんが。)

不動な自己、揺らがない精神力が欲しいです。
それはきっと、宗教に求めるよりも「和魂」の影響力に与ってきたことで培われる方に確かさが秘められているように思わなくもありません。

まとまりが無い投稿になりました。

URLは、訪ねてくださったブログ(破壊されたブログ)以前からUPしてきた掲示板です。よろしかったら時間が許される折に覗いてくだされば幸いです。
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The opening of Japan (noga)
2011-02-02 10:39:07
最初の開国は明治維新である。二番目の開国は戦後である。三番目の開国はこれからである。


考え方にはいろいろある。自分たちの考え方が理に合わないものであることを証明するのは難しいことである。だが、それが証明できなければ、おかしな考え方を改めることも難しい。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
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