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年を重ね、経験を積むにつれ、その時々の思いも変わっていく。その足跡を残しておくために

新米

2008年10月13日 | 私生活 雑感
久しぶりにおいしいご飯を食べた。
宇都宮工場勤務時代、兼業農家の友人から玄米で分けてもらった事を思い出し、20年ぶりにお願いした。
さっそく、コイン精米機で精白米にして、ほかほかご飯、プーンとするなんともいえない懐かしい香り。
旬の秋刀魚と大根おろしとサトイモの味噌汁で、ご飯の味が引き立つ。

都会の米は、古米が混じっているとか、混ぜた方がおいしい、とか聞くことがあるが、一番高い米でもこんなにおいしいと思うことはなかった。
事故米だけでなく、流通過程で不正にブレンドされているのでは、と疑いたくなる。

米には、自分なりの大切な思い出がある。
社会にでる会社選びの際、一番の決め手になったのが「米づくりから国づくりまで」というスローガン。
高度成長時代の上昇志向と希望の中で、自分の心が奮い立っていた頃を思い出す。入社後自分の会社は、農業機械と社会的インフラ関連の事業を展開し、このスローガンを実現して行った。
1970年本格的に稲の刈取機(バインダー)を量産、限定3000台の生産ラインの出荷場では、毎日遅くまで運転手の取合いが見られたという。(その頃大阪の本社)
全国3000超の農協・販売店に1台づつがやっとという訳で、引っ張りだこの画期的な製品だった。それまで、腰をかがめて刈り取っていたのが、1台で30人力以上の能力を発揮した。
各地に実演に行ったサービスマンは、このときの達成感を誇らしく口にしていた。(後に1980年代、米余りと共に機械化貧乏とまでいわれるようになったが、、)
すぐに田植え機も量産段階に入り、1976年石油ショックの頃には乗用コンバインの本格生産により米の自動化システムがほぼ整い、他の業界の不況をよそに、農機ブームと共に飛躍的に発展した。まさに、会社と共に社会的使命を実感。
①九州・大分の4反農家で:
新発売の乗用田植え機の市場フォローで、ある農家を訪問してびっくり!
ご主人が直前に亡くなり、離れの畳を上げて機械が飾るようにおいてあった。
奥さん曰く「主人が夢みた機械だったから・・」
②新潟・上越の山間部で:
新型コンバインの納入で、トラックからの荷下ろし前、お酒2本を田んぼに撒き、お清めの儀式!
それほど、お米とそのための機械は神聖なものだった。

今、グローバリゼーションの大波にもまれ、工業製品を輸出する見返りに、米の輸入制限撤廃の外圧が年々強まっている。
お米は関税品目の筆頭として、辛うじてミニマムアクセス米として政府が受け入れている。今回の事故米の問題など、お米に対する私たち日本人の厳粛な思いが、過去のものになりつつあることを感じさせる。
今年も、会津や日本海の車窓から、黄金色の稲穂のジュウタンに見とれたが、これぞ日本人の心象!と何となく郷愁を感じた。
これからも、新米の季節には、おいしいご飯を味わいたいと思う。

《追記》
昨日(18日)、新聞記者が、「頭を垂れた稲穂が夕日を浴び、黄金色のじゅうたんを地平線いっぱいに広げていました」と20年ほど前の初任地:庄内平野の思い出を、最近の「食」めぐる不正にからめて記事にしていました。
農家の方が「毎年の収穫は、神様から人間への授かり物」と胸を張って語っていたことも。実りの秋、各地の祭りも、こういった神様への感謝の気持ちの表れだろう。

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1 コメント

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新米 (僕酔伝)
2008-10-29 10:27:28
食の安全の崩壊。医療分野の壊滅。世界金融構造の瓦解。
今年は『自己中拝金主義人類』へのお仕置きが下された年。
秋の夜長、せめておいしいに安心。庶民のささやかな贅沢は残しておいてほしいですね。/僕酔
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