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ご隠居さん:自我や世間の枠にとらわれず、社会の潤滑油となりたいものです。 AI時代は 人間らしい自由な発想がカッコいい

年を重ね、経験を積むにつれ、その時々の思いも変わっていく。その足跡を残しておくために

ハンセン病

2008年10月05日 | 私生活 雑感
私鉄のつり革広告で、すぐ近くの国立ハンセン病資料館の企画展を知り、さっそく行ってみた。自転車で10分くらいで、大きな病院とうっそうとした武蔵野林の中にある。
らい病については、皮膚がただれたりして隔離が必要な病気というくらいの知識しかなかった。
数年前、ふるさとの熊本県で、ある温泉旅館がハンセン病の人たちの宿泊を拒否、マスコミで話題になったことをすぐ思い出した。
医学的に解明されていなかったとは言え、展示館で心が痛む差別と偏見の歴史を知る。古く聖書の時代、日本書記や江戸時代の話にも、”浮浪らい”と呼ばれ出てくる。
らい病は治らないもの、後遺症で外見の皮膚がくずれるなどの理由で、社会的に嫌われてきた。遺伝や迷信により、家族にも影響が及んだ。
全国15箇所の療養所での生活が写真、実際の部屋と人形、作業道具などでリアルに展示してある。とくに音響コーナーでは、まだ健在な方たち(皆さん80代)の肉声で、ご自分の体験と今の心境、これからの希望など伺うことができた。
偏見は無知から、差別は自己中心と愛の欠如から起きる。
1873年ハンセン(ノルウェー)がらい菌を発見、慢性の感染症と判明。
しかし本格的な治療は、1943年ブロミンが発表されるまで待つことになる。
その間、1909年「らい予防ニ関スル法律」制定により浮浪患者(対象限定5%くらい)を隔離。
全国に療養所が開設される。
1931年「ライ予防法」制定、すべてのハンセン病患者を隔離、「無らい県運動」により強制隔離が広まった。
さらに、1953年「らい予防法」修正、強制隔離・懲戒検束権は残り、家族を含め村八分的な差別は続く。
やっと1996年「らい予防法」廃止、悪法ができてから実に90年ぶり。
その後も、国家賠償請求、社会復帰・生活保障など、大きな問題が残されている。
現在、全国15箇所に2,800人(元患者、回復者)が生活しているという。

子供の頃、当時の大人からも何となくこういう差別を植えつけられたような記憶がある。
精神病やテンカン、の問題、朝鮮人など自分たちとは別の世界のことにして、関わりを絶つ。こういった差別的なことは、つい最近まで、私たち日本人には当たり前だった。(今でも、自分の心に染み付いている部分があるようだ。自戒)
これは仏教の影響もあるのだろうか。定められた運命・たたり、諦め、無常観、こういったものが、深く本質を考えることを避けてきたのかも。
相対的に考える習慣から抜け出せない私たち日本人には、人間を差別する心が根付きやすい。
その点、絶対観をもつキリスト教・イスラム教社会は、本質的に人間皆同じ、という感じがある。とくに隣人愛から差別に取り組む文化とスケールには感心する。
貧しい人々、恵まれない人々に献身的な愛を注ぎ続けたマザー・テレサ女史の言葉:「愛の反対は?それは無関心です」を思い出す。
外国からの啓蒙が無かったら、今でも私たち日本人が自発的に差別に気づいただろうか、と疑問に思えて、残念な気さえする。










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