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2008年も、政治、経済、社会とも悪化傾向、先行き不透明なまま、一ヶ月を過ぎた。そんな中で、感動したことがいくつかある。
その1)
映画「不都合な真実」、ノーベル賞受賞など、元アメリカ副大統領アル・ゴアの圧倒的な人気は続く。
この映画にも登場し、CO2と過去の地球温暖化の関係を、豊富な科学的データ(万年雪の消失、南極氷の崩落、各地の砂漠化、ハリケーンなど大型化する災害など)で訴えている。
ブッシュとの大統領選敗北を機に、自分の生き方を問い直す中で、障害を持つ息子をはじめ子供たちに、この地球を残すことに使命感を持つようになる。
深く知るほどに、CO2と温暖化の驚くべき相関、議会でどんなに訴えても
”不都合な真実”には目をつぶる政治家たち、、、、
社会運動家としての活動は、これからが本番だろう。
使命感に溢れる表情が、感動を惹き起こす。
今、こんな”顔”をした政治家、経営者がどれだけ入るだろうか。
その2)
白血病で一命を取り留めた市川団十郎(第12代)のTV対談を観た。
梨園の御曹司くらいにしか思っていなかったが、若い(61歳?)のに、実に風格を感じた。言葉の一つ一つが含蓄を含んで、訴えるものがある。
歌舞伎という幽玄の世界で鍛えられた表現力(言葉、表情、間)かも知れない。
「何も苦労が無ければ人生じゃない」「今の自分はおまけ。 おまけだからこそ楽しいことがある」と平然と言ってのける。
やはり、病気という試練を乗り越えた後、自分の覚悟(使命感)ができているということなのだろうか。
その3)
新聞連載「斜陽に立つ」での話。
日露戦争旅順203高地勝利の後、乃木希典中将と投降したステッセル将軍との会見において、乃木は敗軍の将に対しても敬意と礼を尽くした。欧米の従軍記者たちも、このことに深く感動し、「これぞ武士道」と本国に打電したという。その中に、父に伴って、後のマッカーサー元帥がいた。
まだ弱冠二十歳を過ぎたばかりの彼の心には、乃木と日本人に対するゆるぎない信頼が刻み込まれたという。
その40年後、第二次世界大戦の統治者として、日本の土を踏んだとき、マッカーサーが丸腰、わずかな側近でタラップを降りている写真を何かで見て、印象に残っている。
乃木は軍人・元帥としてより、代表的日本人として今でも誇り高い存在なのだろう。
その4)
NHK・TV「こうしてベルリンの壁は崩壊した」
1989年11/9がベルリンの壁崩壊といわれているが、その1ヶ月前、東独ライプチッヒで起きた10/9”月曜デモ”がそのきっかけを作ったという。
立役者は、社会主義政権ホーネッカー首相の下で、唯一自由な言論を許されたニコライ教会とその牧師、それになんと言ってもクルト・マズアという芸術家であった。彼らの勇気ある”自由な社会主義/平和への祈り”は、建国40周年の祝辞:ゴルバチョフ首相(ソ連)の「時代の変化を!」という改革へのメッセージにも元気付けられ、一方で軍上層部の賢明な対応もあり、無血で革命の成功への道を拓いた。
これが、民主化への合図となり、全国に広がっていき、11/9ベルリンの壁崩壊につながって行った。
合言葉は”我々が人民だ”(政権が言う”人民のための警察・軍隊”に対抗)
こういう市民革命を為し得た国と国民に、敬意とともに羨望を覚えるのは、いつまで経っても民主化をモノにできない、今の日本と日本人に失望しているからだろうか。
その1)
映画「不都合な真実」、ノーベル賞受賞など、元アメリカ副大統領アル・ゴアの圧倒的な人気は続く。
この映画にも登場し、CO2と過去の地球温暖化の関係を、豊富な科学的データ(万年雪の消失、南極氷の崩落、各地の砂漠化、ハリケーンなど大型化する災害など)で訴えている。
ブッシュとの大統領選敗北を機に、自分の生き方を問い直す中で、障害を持つ息子をはじめ子供たちに、この地球を残すことに使命感を持つようになる。
深く知るほどに、CO2と温暖化の驚くべき相関、議会でどんなに訴えても
”不都合な真実”には目をつぶる政治家たち、、、、
社会運動家としての活動は、これからが本番だろう。
使命感に溢れる表情が、感動を惹き起こす。
今、こんな”顔”をした政治家、経営者がどれだけ入るだろうか。
その2)
白血病で一命を取り留めた市川団十郎(第12代)のTV対談を観た。
梨園の御曹司くらいにしか思っていなかったが、若い(61歳?)のに、実に風格を感じた。言葉の一つ一つが含蓄を含んで、訴えるものがある。
歌舞伎という幽玄の世界で鍛えられた表現力(言葉、表情、間)かも知れない。
「何も苦労が無ければ人生じゃない」「今の自分はおまけ。 おまけだからこそ楽しいことがある」と平然と言ってのける。
やはり、病気という試練を乗り越えた後、自分の覚悟(使命感)ができているということなのだろうか。
その3)
新聞連載「斜陽に立つ」での話。
日露戦争旅順203高地勝利の後、乃木希典中将と投降したステッセル将軍との会見において、乃木は敗軍の将に対しても敬意と礼を尽くした。欧米の従軍記者たちも、このことに深く感動し、「これぞ武士道」と本国に打電したという。その中に、父に伴って、後のマッカーサー元帥がいた。
まだ弱冠二十歳を過ぎたばかりの彼の心には、乃木と日本人に対するゆるぎない信頼が刻み込まれたという。
その40年後、第二次世界大戦の統治者として、日本の土を踏んだとき、マッカーサーが丸腰、わずかな側近でタラップを降りている写真を何かで見て、印象に残っている。
乃木は軍人・元帥としてより、代表的日本人として今でも誇り高い存在なのだろう。
その4)
NHK・TV「こうしてベルリンの壁は崩壊した」
1989年11/9がベルリンの壁崩壊といわれているが、その1ヶ月前、東独ライプチッヒで起きた10/9”月曜デモ”がそのきっかけを作ったという。
立役者は、社会主義政権ホーネッカー首相の下で、唯一自由な言論を許されたニコライ教会とその牧師、それになんと言ってもクルト・マズアという芸術家であった。彼らの勇気ある”自由な社会主義/平和への祈り”は、建国40周年の祝辞:ゴルバチョフ首相(ソ連)の「時代の変化を!」という改革へのメッセージにも元気付けられ、一方で軍上層部の賢明な対応もあり、無血で革命の成功への道を拓いた。
これが、民主化への合図となり、全国に広がっていき、11/9ベルリンの壁崩壊につながって行った。
合言葉は”我々が人民だ”(政権が言う”人民のための警察・軍隊”に対抗)
こういう市民革命を為し得た国と国民に、敬意とともに羨望を覚えるのは、いつまで経っても民主化をモノにできない、今の日本と日本人に失望しているからだろうか。
改めて世を憂え、国を憂えた時代の先駆者の声を聞きなおす時ですね。
“償いさん”のブログに気が休まります。続編を待ってます。