ご隠居さん:自我や世間の枠にとらわれず、社会の潤滑油となりたいものです。 AI時代は 人間らしい自由な発想がカッコいい

年を重ね、経験を積むにつれ、その時々の思いも変わっていく。その足跡を残しておくために

神社

2008年03月22日 | Weblog
各地に行って、町を歩くと神社仏閣が多いことにおどろく。
先週も、三嶋大社(静岡県三島市)と二本松神社(福島県二本松市)に立ち寄った。JR三島駅は大社風の駅舎で、まさに三島市のシンボル的存在。
富士山の爆発で飛んできた溶岩の間から湧き出る清水も、市の観光資源になっている。
駅の正面どおりに面した、観光ポイント”愛染の滝”湧水が枯れていたが、季節のせいだろう。
①三嶋大社は、源頼朝が源氏再興を祈願し、旗挙げをしたとかで、頼朝・政子の腰かけ石、樹齢1200年、国の天然記念物のキンモクセイなどがある。
本殿は、壮厳な権現造りで、中央に舞台、境内は実に整然としている。
室町時代からの三島暦(みしまごよみ)でも知られ、女性・子供向けの仮名暦という。
東海道に面する交通の要所でもあり、戦前は国家神道の加護の下で、さぞ繁栄したことだろう。今は、周囲の商店の構えは古びていて、シャッターも目立つ。
②二本松神社(福島県)
初代二本松城主(丹羽光重)が八幡宮(丹羽家の守護神)と熊野宮(領民の守護神)を合祀して遷宮。
例大祭での”ちょうちんまつり10/4-5”は日本三代祭りの一つとして、観光の目玉になっている。詩人;高村光太郎の「智恵子抄」でも有名で、智恵子の生家の造り酒屋は記念館になっている。「あれがあだたら山・・」の安達太良山1700mが、朝陽に雪の山肌を照り輝く連峰を従えそびえる様は、戊辰戦争での二本松少年隊の悲話のように毅然としている。
二本松神社は、石の大鳥居、急な石段、本殿は簡素な造りで全体にこじんまりとしている。
③神社とは?
大社とか八幡宮とか、全国にどのくらいの神社があるのだろうか?
以下、InterNet調べ:
神社本庁(東京代々木)
GHQ「神道指令」に対応してS21設立
伊勢神宮を本宗と仰ぎ、全国8万社を統括する各県に神社庁を置く。神宮/大社/明神/権現/稲荷/八幡などすべて”神社”。
神社の周りには鎮守の杜と呼ばれる森林があるのが一般的、神社の入口には、境内と俗界の境界を示す鳥居があり、社殿まで参道が通じる。
多くは、有名な神社から祭神を勧請(かんじょう)している。(勧請とは、祭神の分霊を他の神社に招いて祀ることで、ロウソクへ灯をうつすように、神道の神は無限に分霊することができ、本来の神威が損なわれることがないとされているという)
勧請した神社同士は系列神社と呼ばれる。
三嶋大社の場合:
(神使)鰻、(祭神)事代主命、(本社)三嶋大社、(系列神社名)三島神社or明神
出雲大社の場合は、順に蛇・兎→大国主命(オオクニヌシノミコト)→出雲大社→出雲神社 となる。
例外のひとつ、靖国神社の祭神は近代以降国内外で朝廷側・政府側で戦没した軍人・軍属。(御霊(ミタマ)信仰を基盤)
神社本庁には加盟していない東京都知事認証の単立神社(単立宗教法人)とある。
また、国家神道(こっかしんとう)とは、明治から太平洋戦争の終戦までの間に日本政府の政策により成立していた国家宗教。
戦前の政府は「神道は宗教ではない。憲法の信教の自由とは矛盾しない」として、戦争遂行の精神的支柱とした。戦後の「神道指令」で廃止。→上記の神社本庁につながる。

各地で、伝統の見直し・地域起しが見られるが、祭りにしろ、観光スポットにしろ、神社が関係していることが多い。

ここで、山本七平著「日本人とユダヤ人」を思い出す。
「日本人とは、日本教という世界で最も強固な宗教を自覚することなく身につけた信徒である」「日本教の中心にあるのは、神概念ではなく、”人間”という概念」
日本教の殉教者として、西郷隆盛を挙げて説明している。
(たしかに乃木神社など、個人を祭る神社も多い)
色んな祭神を持つ”神社”に対する現代の私たち日本人の期待は、日本教という宗教への先祖ガエリか?憧れか?それとも、単に、観光やら地域復興やらの”お神輿”かつぎくらいなものなんだろうか?
《後日記》
今日の新聞で、東郷神社が「御霊は移せる」として「A級戦犯の合祀受入れ」の記事が出ていた。新に国立追悼施設などでお茶濁すよりこの案に賛成!(この神社は、戦前、靖国神社と同格の”別格官弊社”に決定していたが、1945空襲で本殿消失で中止)












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