6年ぶりに上田に立ち寄った。
上田駅を出ると、あいにくの小雨、再来年2016「”真田丸”NHK大河ドラマに決定」のポスターが目につく。
真田丸というのは、大阪冬の陣で真田幸村が築いた出城のことらしい。
駅ひろばの大水車は健在、真田三代、城下町、蚕都などウォーキングコースも用意され、これから観光ブームで盛り上がることだろう。
とりあえず、上田城まで10分くらいの坂道を歩く。途中に十勇士の人形像があり、スタンプラーのポイントか。
天守閣はなく、立派なお濠と城門が残っていて、公園になっている。お濠の桜は見応えがありそう。
駅前の目抜き通りは、真田十勇士のガイドが整備され、子どもの頃のマンガの記憶、猿飛佐助・三好晴海入道など懐かしい。
真田太平記の池波正太郎館のバス駐車場の広いこと、観光の目玉なんだろう。
帰り、お目当てのそばや「刀屋」、今回は 閉店間際で真田そばにありついた。
並みで大盛り、信州味噌に出し汁をとき、薬味でいただく。
少し硬めの歯ごたえ、これで満腹!
屋代までの「しなの鉄道」は通学の生徒たちでいっぱい、生活感のあふれる車中は楽しい。
上田市の周りには小さな温泉がいっぱい!十いくつかある。
最初に上田に来た時、ここに住む友人が「今からいくつまで温泉に入れるか?挑戦してみませんか」
もちろん大賛成!ということでドライブに。土地の人がちょっとひと風呂浴びるようなほんとに小さな温泉場、われわれも長湯しないで雰囲気を味わう。
有名な別所温泉に着いてときには、もう6か7ケ所を制覇?
さすがにここで湯あたり気味ということでギブアップし、北向観音(長野善光寺と向かい合っている:厄除け観音)に参拝。
歌舞伎役者など有名人もよく利用したとか。
*以下 2008.6.29記録*
5月の第2週、上田ー千曲ー軽井沢ー横川ー富岡と信濃路のスローライフを楽しんだ。早めに上田に着くと、雨も止みホテルで落ち着くまもなく、パンフレット片手に市内散策。駅前の大通りには、真田六文銭のカンバン・旗が目立ち、よく見ると真田十勇士グッズもある。少年のころマンガでよく知っている名前、猿飛佐助/霧隠才蔵/地雷也/滝口入道・・・娯楽の少ない田舎の小学生のころを思いだす。
7,8分で、池波正太郎「真田太平記館」、これが真田昌幸・幸村親子の武勇伝の話を広めたんだろう。確か、忍者の物語だった。
戦国時代、昌幸・幸村親子は豊臣方:長男の信之は徳川方に分れ、真田家の生き残りを賭けた知将昌幸の戦略という。
その甲斐あって、大阪の陣で豊臣敗残の後も、信之は松代藩に移封、明治維新まで250年間に亘り千曲川一帯を統治した。
少し歩くと、整備された古い街並みがあり、北国(ホッコク)街道柳町とある。善光寺への参拝客で賑わった名残が強く感じられる。
この大通りから4,5分入ったところに、3,4年前上田市の友人にご馳走になった名物そば屋「刀屋」を探し当てた。残念ながら明かりはなく、6時で閉店しました、と店の人が言う。
ホテルへの帰り、上田城公園を一回りしたころ、ちょうど陽が落ちかかってていた。
翌朝、しなの鉄道は通勤・通学で混んでいたが、窓からののどかな景色にゆったりとした時を感じた。
夕方仕事を終え、しなの鉄道で軽井沢へ向かう。翌日は移動日で、観光の予定。屋代ー上田ー小諸と千曲川に沿い、ボーォッと景色に見とれる。
小諸駅のすぐ前に、島崎藤村縁の懐古園、ここが「千曲川旅情の歌:小諸なる古城のほとり、雲白く・・」で有名な小諸城址とある。
この地には、古くから、芭蕉の「更科紀行」、"田毎の月"の棚田と名月、演歌など、旅情とロマンを誘う風情がある。
1時間近くで近代的な軽井沢駅、駅南口から続く大型アウトレットも薄暗くひっそりとしていた。
翌朝、ホテルのレンタサイクルで、旧軽井沢周りをゆっくりと回る。
旧三笠ホテル(軽井沢の鹿鳴館とも呼ばれ、重文)へのカラマツ並木では、鳥の声が木々のてっぺんから降ってくるほど騒がしい。北原白秋「カラマツの林をすぎて・・カラマツはさびしかりけり・・」とは違って、陽気な気分でペダルをこぐ。
旧軽井沢の派手なみやげ店通りの突き当たりに、ショー記念礼拝堂がある。
カナダ人宣教師(英国聖公会)A・C・ショーが別荘を建て(M19)友人・知人に紹介したのが”避暑地:軽井沢”の始まりとかで、軽井沢開発の父と呼ばれる。寮・別荘1万、観光客800万人(S61)にまで発展し、今でもステータスは健在。
途中、名門軽井沢テニスクラブで観戦、最初は国際大会の予選とは知らなかったが、道理でどのゲームもレベルが高く、韓国、カナダなど外国人も混じっていた。
軽井沢から横川までは、JRバスしかない。長野新幹線の開通で、碓井峠の名物、アプト式軌道とスイッチバックが廃止され、信越線はこの間が中断されたままだ。
横川駅前の峠の釜飯屋さんには、通算1億個作ったという何年か前のポスターが貼ってある。
いつか、横川から軽井沢まで、廃止線沿いのコースを歩きたい気になってくる。
せいぜい4,5時間の登り道だろう。
「人間の証明」で有名になった霧積温泉も、ここから近い。「母さん、僕のあの帽子どうしたでしょうね、あの麦わら帽子・・」というシーン(ススキ野だったか)を思い出す。
この日は、ホテルの温泉の窓からゴツゴツした妙義山を仰ぎ、改めて千曲川の旅情を思った。
上田駅を出ると、あいにくの小雨、再来年2016「”真田丸”NHK大河ドラマに決定」のポスターが目につく。
真田丸というのは、大阪冬の陣で真田幸村が築いた出城のことらしい。
駅ひろばの大水車は健在、真田三代、城下町、蚕都などウォーキングコースも用意され、これから観光ブームで盛り上がることだろう。
とりあえず、上田城まで10分くらいの坂道を歩く。途中に十勇士の人形像があり、スタンプラーのポイントか。
天守閣はなく、立派なお濠と城門が残っていて、公園になっている。お濠の桜は見応えがありそう。
駅前の目抜き通りは、真田十勇士のガイドが整備され、子どもの頃のマンガの記憶、猿飛佐助・三好晴海入道など懐かしい。
真田太平記の池波正太郎館のバス駐車場の広いこと、観光の目玉なんだろう。
帰り、お目当てのそばや「刀屋」、今回は 閉店間際で真田そばにありついた。
並みで大盛り、信州味噌に出し汁をとき、薬味でいただく。
少し硬めの歯ごたえ、これで満腹!
屋代までの「しなの鉄道」は通学の生徒たちでいっぱい、生活感のあふれる車中は楽しい。
上田市の周りには小さな温泉がいっぱい!十いくつかある。
最初に上田に来た時、ここに住む友人が「今からいくつまで温泉に入れるか?挑戦してみませんか」
もちろん大賛成!ということでドライブに。土地の人がちょっとひと風呂浴びるようなほんとに小さな温泉場、われわれも長湯しないで雰囲気を味わう。
有名な別所温泉に着いてときには、もう6か7ケ所を制覇?
さすがにここで湯あたり気味ということでギブアップし、北向観音(長野善光寺と向かい合っている:厄除け観音)に参拝。
歌舞伎役者など有名人もよく利用したとか。
*以下 2008.6.29記録*
5月の第2週、上田ー千曲ー軽井沢ー横川ー富岡と信濃路のスローライフを楽しんだ。早めに上田に着くと、雨も止みホテルで落ち着くまもなく、パンフレット片手に市内散策。駅前の大通りには、真田六文銭のカンバン・旗が目立ち、よく見ると真田十勇士グッズもある。少年のころマンガでよく知っている名前、猿飛佐助/霧隠才蔵/地雷也/滝口入道・・・娯楽の少ない田舎の小学生のころを思いだす。
7,8分で、池波正太郎「真田太平記館」、これが真田昌幸・幸村親子の武勇伝の話を広めたんだろう。確か、忍者の物語だった。
戦国時代、昌幸・幸村親子は豊臣方:長男の信之は徳川方に分れ、真田家の生き残りを賭けた知将昌幸の戦略という。
その甲斐あって、大阪の陣で豊臣敗残の後も、信之は松代藩に移封、明治維新まで250年間に亘り千曲川一帯を統治した。
少し歩くと、整備された古い街並みがあり、北国(ホッコク)街道柳町とある。善光寺への参拝客で賑わった名残が強く感じられる。
この大通りから4,5分入ったところに、3,4年前上田市の友人にご馳走になった名物そば屋「刀屋」を探し当てた。残念ながら明かりはなく、6時で閉店しました、と店の人が言う。
ホテルへの帰り、上田城公園を一回りしたころ、ちょうど陽が落ちかかってていた。
翌朝、しなの鉄道は通勤・通学で混んでいたが、窓からののどかな景色にゆったりとした時を感じた。
夕方仕事を終え、しなの鉄道で軽井沢へ向かう。翌日は移動日で、観光の予定。屋代ー上田ー小諸と千曲川に沿い、ボーォッと景色に見とれる。
小諸駅のすぐ前に、島崎藤村縁の懐古園、ここが「千曲川旅情の歌:小諸なる古城のほとり、雲白く・・」で有名な小諸城址とある。
この地には、古くから、芭蕉の「更科紀行」、"田毎の月"の棚田と名月、演歌など、旅情とロマンを誘う風情がある。
1時間近くで近代的な軽井沢駅、駅南口から続く大型アウトレットも薄暗くひっそりとしていた。
翌朝、ホテルのレンタサイクルで、旧軽井沢周りをゆっくりと回る。
旧三笠ホテル(軽井沢の鹿鳴館とも呼ばれ、重文)へのカラマツ並木では、鳥の声が木々のてっぺんから降ってくるほど騒がしい。北原白秋「カラマツの林をすぎて・・カラマツはさびしかりけり・・」とは違って、陽気な気分でペダルをこぐ。
旧軽井沢の派手なみやげ店通りの突き当たりに、ショー記念礼拝堂がある。
カナダ人宣教師(英国聖公会)A・C・ショーが別荘を建て(M19)友人・知人に紹介したのが”避暑地:軽井沢”の始まりとかで、軽井沢開発の父と呼ばれる。寮・別荘1万、観光客800万人(S61)にまで発展し、今でもステータスは健在。
途中、名門軽井沢テニスクラブで観戦、最初は国際大会の予選とは知らなかったが、道理でどのゲームもレベルが高く、韓国、カナダなど外国人も混じっていた。
軽井沢から横川までは、JRバスしかない。長野新幹線の開通で、碓井峠の名物、アプト式軌道とスイッチバックが廃止され、信越線はこの間が中断されたままだ。
横川駅前の峠の釜飯屋さんには、通算1億個作ったという何年か前のポスターが貼ってある。
いつか、横川から軽井沢まで、廃止線沿いのコースを歩きたい気になってくる。
せいぜい4,5時間の登り道だろう。
「人間の証明」で有名になった霧積温泉も、ここから近い。「母さん、僕のあの帽子どうしたでしょうね、あの麦わら帽子・・」というシーン(ススキ野だったか)を思い出す。
この日は、ホテルの温泉の窓からゴツゴツした妙義山を仰ぎ、改めて千曲川の旅情を思った。
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