5/28現役松岡農省に続いて、29日緑資源機構の前身の森林開発(元)公団理事が相次いで自殺した。
両人とも、農省の「ナントカ還元水・・」や機構の官製談合事件をめぐり独占禁止法違反の容疑でマスコミに騒がれ、家宅捜索など八方塞がりの状態だったのだろう、と推察する。(農相は熊本の同じ高校の先輩で、父が国会議事堂を見たいと言った時に見学の手続きをお願いしたことがあるから、しのびない気持ち)
グローバリゼーションの進展とともに、益々厳しくなる農業・林野・水産という構造不況業界のドンとして大臣にまで登りつめ、それなりの使命感に燃えてやっておられたのだろう。
それにしても、私たち日本人の発想は何と不合理なのか?
つくづく残念に思う。
何ら事実を明らかにしないまま、農相の遺書では「不明、不徳の為お騒がせし、・・・責任とお詫び・・・云々」とくにやりきれないのは、「・・残された者達には皆様方のお情けを・・・安倍総理 日本国万歳」
まるで大戦の玉砕か特攻隊の最期の叫びではないか。
元公団理事も「まったくそういうのはやっていない」と直前まで言い切っていたという。
事実はどうなのか? それをはっきりさせた上で、無実も反省も生まれる。
闇に葬って何の得になるのだろうか。
死者を鞭打つことは罪なこと、という日本人の美徳を当てにして、情に訴えたかったのだろうか。
情と知、私たちはいざとなったときの判断を、どっちに委ねるか。
どちらかというと、「情」ではないだろうか。
安倍首相の靖国神社参拝、平和憲法の維持、北朝鮮の拉致問題など世論は情緒とか気分を反映しているようだ。
こういった国民性は、
品質管理や失敗学からみると、異常なくらい非合理的で、先進国のカケラも感じられないと思う。
*日経ビジネス2007.2.26号で、稲盛和夫さん(京セラ名誉会長)は「上質な日本を!」の中で、”煩悩で日常を生きている”が問題として、知性と教養で上質の人間をめざすことを提唱。*
まず、問題発生→ 現場検証で事実を把握→ 問題に対する応急処置
次に、証拠を基に原因追究→ 手を打てるいくつかの原因に対して再発防止策→ 対策実施 というプロセスをしっかりとやること。
その上で自分の責任をどのように取るか、決めればいい。
自殺とか、辞任だけで責任を取ることにはならないはずだ。
キリスト教でも「十戒」の第5の戒めで殺人と同様自殺を禁じている。
欧米人から見て、腹きり(切腹)はとても理解できないことだろう。
「神から授かった命を自ら絶つとは、何と思い上がったことか」
キリスト教文化圏では、
自分の犯した罪を悔い(反省)、改める(再発しないように、キリストを信じる)ことこそが人間としてやるべきこと、これが救いにつながる、という考え方。
ある意味でとても合理的な考えだと思う。
とにかく、今までのように「過去を水に流して、これからの対策を=潔さ」という美徳(?)で事実を闇に葬って欲しくないものだ。
マスコミをはじめ政治家たちも、
事実を調べ、何が問題の核心だったのか(真の原因)をはっきりさせて欲しい。
いろんな対策は、それからじっくり決めれば十分間に合うはずだ。
今、我々日本人に必要なことは、「情に棹さしても流されず、知にはたらけよ!」(漱石:草枕に言う反語)
両人とも、農省の「ナントカ還元水・・」や機構の官製談合事件をめぐり独占禁止法違反の容疑でマスコミに騒がれ、家宅捜索など八方塞がりの状態だったのだろう、と推察する。(農相は熊本の同じ高校の先輩で、父が国会議事堂を見たいと言った時に見学の手続きをお願いしたことがあるから、しのびない気持ち)
グローバリゼーションの進展とともに、益々厳しくなる農業・林野・水産という構造不況業界のドンとして大臣にまで登りつめ、それなりの使命感に燃えてやっておられたのだろう。
それにしても、私たち日本人の発想は何と不合理なのか?
つくづく残念に思う。
何ら事実を明らかにしないまま、農相の遺書では「不明、不徳の為お騒がせし、・・・責任とお詫び・・・云々」とくにやりきれないのは、「・・残された者達には皆様方のお情けを・・・安倍総理 日本国万歳」
まるで大戦の玉砕か特攻隊の最期の叫びではないか。
元公団理事も「まったくそういうのはやっていない」と直前まで言い切っていたという。
事実はどうなのか? それをはっきりさせた上で、無実も反省も生まれる。
闇に葬って何の得になるのだろうか。
死者を鞭打つことは罪なこと、という日本人の美徳を当てにして、情に訴えたかったのだろうか。
情と知、私たちはいざとなったときの判断を、どっちに委ねるか。
どちらかというと、「情」ではないだろうか。
安倍首相の靖国神社参拝、平和憲法の維持、北朝鮮の拉致問題など世論は情緒とか気分を反映しているようだ。
こういった国民性は、
品質管理や失敗学からみると、異常なくらい非合理的で、先進国のカケラも感じられないと思う。
*日経ビジネス2007.2.26号で、稲盛和夫さん(京セラ名誉会長)は「上質な日本を!」の中で、”煩悩で日常を生きている”が問題として、知性と教養で上質の人間をめざすことを提唱。*
まず、問題発生→ 現場検証で事実を把握→ 問題に対する応急処置
次に、証拠を基に原因追究→ 手を打てるいくつかの原因に対して再発防止策→ 対策実施 というプロセスをしっかりとやること。
その上で自分の責任をどのように取るか、決めればいい。
自殺とか、辞任だけで責任を取ることにはならないはずだ。
キリスト教でも「十戒」の第5の戒めで殺人と同様自殺を禁じている。
欧米人から見て、腹きり(切腹)はとても理解できないことだろう。
「神から授かった命を自ら絶つとは、何と思い上がったことか」
キリスト教文化圏では、
自分の犯した罪を悔い(反省)、改める(再発しないように、キリストを信じる)ことこそが人間としてやるべきこと、これが救いにつながる、という考え方。
ある意味でとても合理的な考えだと思う。
とにかく、今までのように「過去を水に流して、これからの対策を=潔さ」という美徳(?)で事実を闇に葬って欲しくないものだ。
マスコミをはじめ政治家たちも、
事実を調べ、何が問題の核心だったのか(真の原因)をはっきりさせて欲しい。
いろんな対策は、それからじっくり決めれば十分間に合うはずだ。
今、我々日本人に必要なことは、「情に棹さしても流されず、知にはたらけよ!」(漱石:草枕に言う反語)
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