ご隠居さん:自我や世間の枠にとらわれず、社会の潤滑油となりたいものです。 AI時代は 人間らしい自由な発想がカッコいい

年を重ね、経験を積むにつれ、その時々の思いも変わっていく。その足跡を残しておくために

政治家の責任

2007年06月12日 | 政治 経済 社会 憲法
久しぶりにTV日曜討論を見たが、厚生年金の未登録・支給もれの問題で相変わらず低レベルの論戦?が行われている。
5000万件(5000件ではない)年金記録を1年間で再調査する、これは与党の責任でやる!と大見得を切っている。(厚労大臣他)

政治家が”責任を取る”というとき、どういうつもりで言っているのだろう?
多分、責任を取って「辞めてあげるヨ」というくらいの感覚ではないか。
自分が○○大臣の時に「××をやった」とか言うが、大きな権限(税金と役人を使って)と報酬に見合ったことなのか、よく考えて欲しい。

首相にしても、大臣にしても、政治家の使命について、余り深く考えたことがないとしか思えない発言が多い。
自分の立場で精一杯やっているのは、おそらくマチガイが無いことだろう。
しかし、それが国民とか世間から見てどうか?期待に応えるだけの力量が果たせたか?そういう求道的な思いが伝わってこない。

自分の周りのダメな政治家仲間、「それに較べれば俺は良くやっているんだぞ!」
そんな下世話な話ばかりでうんざりする。

よく思うことだが、
私たち日本人は、表現力、Communication力をもっと鍛える必要がある。
そのためには、自己責任で深く物事を考える習慣を大切にすること、
ムードや義理人情にとらわれない、合理的な思考を日頃から心がけるようにしたいものだ。政治家には、そういう使命感と総合的な能力が期待されているのではないだろうか。

政治家の責任は、まず何よりも透明性にあると思う。
目標を示すだけでなく、具体的な計画を立て、どのような経過で進んでいるのか、そして結果はどうだったのか、まず自分の立場で説明できること。
内容の出来/不出来は、その上でのことだろう。(自分でなくても他がやっていることが多い)

「有言実行」自ら最初に示して得られた成果だけが自分の功績。
しかもその過程(プロセス)をも、できるだけはっきりさせることが求められる。
ほんとうの成果は、ずっと後に表れることが多いはずだから。
今の首相(前首相も)は、有言実行だけでプロセスが浅く、説明責任が果たせていないように思う。これでは結果に対して責任を果たしたことにはならない。
靖国参拝、イラク支援継続、憲法改正法案、教育改革法案ec.

計画→実行段階でも、その説明を十分にやり、ある程度の合意を得ながら進めることが民主主義の本分のはずだが、結果責任だけが云々される。
もし、好ましくない結果がでても、それは政治家だけではなく、国民(ほとんどがマスコミなどの世論ということになるが)全体の問題としなければならないだろう。
今のわが国の民衆主義のレベルでは、ムリなことかも知れないが、そういう方向に進んで行くことを願う。

その点、今の総務大臣の「ふるさと納税」は、その趣旨と提唱のプロセスが比較的に良い様に思う。TV.などでも、腹芸(従来の政治家特有の)を感じさせない率直な語り口、自身の経験から地方の疲弊を何とかしたいという思いが強く伝わってくる。
実際に法案成立するかは厳しい面があるが、都市に住む地方出身者の共感が得られているのではないだろうか。
こういう説明責任をきちんと果たすことが、政治家の責任だろう。
決めるのは国民であり住民のはずだから、思い上がってもらっては困るのだが、、、

男は黙って○○ビール、不言実行、こんな男の美学を賞讃する女性が多いかも知れないが、これは男女の仲だけにして欲しいものだ。






























最新の画像もっと見る

コメントを投稿