気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

創造する趣味を ・・・ 2.気を引きだす

2010-08-02 21:16:22 | Weblog
音楽鑑賞は 高尚な趣味です。


しかし ただ聴くだけよりは

自分で楽器をひき あるいは歌うというほうが

  上手ではなくても 趣味としての次元は高いです。

それが創造行為であるからです。


バッハを聴くよりも 炭坑節をみずから歌うほうが

  ・・・ 創造性はより高いのです。



見る 鑑賞するという趣味においても むろん気は湧きたちます。

だから楽しいし 陶酔もできるのですが ・・・

  そのばあいは あくまで受け身のものですね。


創造行為のばあいは

  自分の身のうちから気を湧きたたせなければなりません。

次元がちがうというのは そこなのです。

創造のためにエンルギーをしぼりだす
 
  その苦しみとよろこびこそ価値があるのです。


「やる」趣味においては

  イッショウケンメイにならないわけにはいきません。

それが生命力を引きだすところに かけがえのない値うちがあるのです。


創造的な趣味においては

  自分の作品やプレイに 自分の力量と個性が正直に表現されます。

その自己表現できるところにこそ 創造のよろこびの真髄があります。


上達の意欲が かぎりなく気をひきだしてくれもするのですよ。






創造する趣味を ・・・ 1.次元

2010-08-02 17:00:17 | Weblog
「ご趣味はなんですか?」

「野球です」

「守備位置は? 何番打っていますか?」

「いえ 自分ではやりません。プロ野球のファンなんです」

こんな会話を テレビで聞いたことがあります。


高度な野球技術を鑑賞することも

あるチームの熱烈なフアンであることも

  たしかに「趣味」ではあるにちがいありません。


しかし 自分でユニフォームを着て

グラウンドの上で打って 走って 汗を流して 勝ってよろこび ・・・

  というのにくらべたら 趣味としての次元は低いはずです。


「見る」だけと「やる」のとでは 立場がまったくちがいます。

前者には後者のもつ 創造の苦しみとよろこびがありません。

  ・・・ だから 次元が低い というのです。





病人に共通するアヤシイ点 ・・・ 小人物

2010-08-02 15:15:19 | Weblog
怪我(けが)という字は 「怪しい我」と書きます。


ケガをする人は

  どこか自分にアヤシイ(筋道からそれた)ところがあるのです。

だから ケガによって反省が迫られるのです。

ケガをしてこそありがたかった というのが 正しい受取りかたです。


そう言えば

かの双葉山は力士生活中 一度たりともケガをしなかったそうです。

力士にケガはつきもの といわれているのに です。

このことはかれの偉大さの ひとつの傍証でありうるでしょうね。

かれ自身

  「理にかなった相撲をとれば ケガはぜったいしないものだ」

  ・・・ と言い切っています。



病気についても同じこと言えましょう。

「理にかなった生活をしていれば

    病気など ぜったいにならないものだ」 と。


こういうストレスの多い

  大気からして汚れている社会に生きているのだから

    体調の不調というくらいのことはやむをえません(?)。

だが

寝込んでしまって人なみに働くことができぬ

  というほどの病気にかかる人は

自分にアヤシイところがかならずある ・・・
 
       と反省しなくてはなりません。


わが肉体の管理にマチガイがあることは もちろんですが

  とりもなさず わが心にマチガイがあるということです。


病人に共通するアヤシイ点は

  我 ・ ワガママ ・ 感謝の心に欠ける ・・・ などでしょうね。


病の真因は 自分自身にあるのです。

自分が 病気をつくっているのです。


「病人はワガママなものだ」といいますが

「ワガママな人だから病気になるのだ」というほうが

    ・・・ より真実なのではないでしょうか?


そこに反省をしないで

病の因を外部(バイキンなど)にのみ求め

  ・・・ 医者とクスリにのみ頼って治そうとします。

そういう心では 一時的にはよくなっても またいつか出てきます。


リッパな死にかたは もちろん できますまい。


病気もまた 反省の機会として天があたえたもうたものなのです。

寝こんだら 虚心に反省します。

そういうふうに受けとれたら 病気もまた天の恵み

  ・・・ マイナス即プラス ということになります。


つらい 苦しいとグチばかり言ったり

  病気を利用して いっそうワガママにふるまったり ・・・
 
そういうふうでは 救いようがありません。


  ・・・ 小人物の最上級 です。






万物の霊長といいますが ・・・ 霊短 ?

2010-08-02 12:02:02 | Weblog
チャールズ・ダーウィンの「進化論」の思想が正しいものかどうか

  ・・・ 私ごときにわかろうはずがありません。


ただひとつ ハッキリ言えるのは

人間があらゆる生物のなかで

  いちばん後に登場した生きものであることです。


これはマチガイのないところでしょう。


人類の生命史なんて 長くみても何百万年でしょうが

たとえば 台所でチョロチョロ走りまわるゴキブリ様のごときは

  何億年もの歴史をもっています。人間とはケタのちがう大先輩です。

ゴキブリ・ホイホイなんて 気やすくいってほしくないゾ

  ・・・ むこうサマは そう思っておられるかもしれません。



人間は 最後に登場した生物です。


それゆえに いちばん進化しており いちばん高等である

  ・・・ という面もあるでしょうね。

だが 同時に 最後輩ゆえにもっとも劣悪である

  ・・・ という面も たしかにあるにちがいないのです。



早い話 ・・・ 病気になるのは人間だけです。

野生の動物は ぜったいに病気にはなりません。


その 病む というマイナスを埋めるために

  健康法や医学の進歩が必要でした。


マイナスを埋めるためのプラスにすぎないのだから

医学ごときを人智の勝利などといって誇ることはまちがっています。

「病むことを知らぬ」となって 動物なみになれるのに過ぎないからです。



野生の動物は 象から小鳥に至るまでみな
 
  死骸を他者にはぜったいに見せません。

みずから死期を悟り 誰にも見られぬところでヒッソリと死んでゆきます。

崇高ともいいたい最後です。 ・・・ 人間にこのマネができますか?


きわめて少数の人をのぞいて

人間には みずからの死期を悟ることができないし

自然死(老衰死 大往生)という死にかたが またできません。

たいていは 病気になってまわりの者に世話をかけて死にます。



万物の霊長どころか ヒョッとしたら霊短なのかもしれませんゾ。




       

開きなおりの技術 ・・・ 3.慰安旅行

2010-08-02 06:46:11 | Weblog
温泉などへ泊りがけの社員旅行をする などは

  どこの会社でもやっていること。


いっしょに湯につかれば 心までハダカになれるような気がします。

衣装をぬぎ ケツまで見せあうことで壁がとれ

  心と心がグッと接近するのです。

ハダカの姿に甲乙はないから そこでふだんの個我意識が弱まり

  人間平等観のほうが頭をもちあげてくる というわけです。


おそろいの浴衣と丹前を着ると

  衣装による個我や自己主張が消えてなくなります。

当然 人間平等観のほうが頭をもちあげてきます。

そこへアルコールが入るから

  いよいよもって心の壁がとれる ということになります。

壁が破れるから ふだんおさえていたウップンもまた

  ときには爆発しようというものですね。


軍隊や警察などで制服を着せるのは

  ひとつには 統率の便宜のためでしょう。

着るものがそろえば 心もそろいやすいのです。

「整列! 右へ習え」ということは 制服でなくてはできないことです。

制服もまた 一種のハダカといえましょうね。


むかし

こういう旅行でいちど 直属の上司と風呂に入ったことがありました。

年齢差は15歳くらい。こちらが小便小僧で むこうは鼻タレです。


上役の皮膚のタルミをみて驚き やがてアワレをもよおしてきた。

自分の体をみる。若くてピチピチしている。

  ああ なんとすばらしいこのオレよ。 それに比べて ・・・

いつも見あげている人が そのときは下に見えてきた。

  ああ いいキモチだ!


背広にしたって むこうはこちらの倍値くらいのものを着ている。

それらをはぎとってしまうと

  ・・・ 人間価値観が こうまでちがってくるのです。



慰安旅行(なぐさめ 安んじてくれる旅)とは よくいったものだ

  ・・・ と 妙な感心をしたことでありました。






開きなおりの技術 ・・・ 2.総理大臣のハダカ

2010-08-02 05:46:16 | Weblog
総理大臣が気に入らぬ。

なんだ あの政治は ・・・ などと怒ってみても始まらぬ。

こちらの心が乱れるだけ 損というものだ。

だいいち 健康によろしくない。


そういうときは 密室におこもりのお姿を想像する。

ああ そういう生きものだったのか。

大したことないや ふつうだ。

ならば まちがった政治もするだろうじゃないか ・・・ で許せる。

健康にも たいへんヨロシイ。



無能なくせにキビシイ上役にこき使われる。

アンチクショウ! ・・・ などと腹を立てても始まらぬ。


「こいつは女房とするときは・・・」と考えてみる。

大したヤツではない ・・・ ということがわかる。

それがわかれば 腹も立つまいというモンだ。



そして


  本来がみなハダカなるを思うとき

    世のひとびとのなつかしきかな


  ・・・ と 詠(うた)うこともできるでしょうね。





開きなおりの技術 ・・・ 1.ハダカにする 

2010-08-02 05:01:59 | Weblog
幕末の志士 坂本竜馬が書いたある記録に こういう一節があるそうです。
 


・・・ 偉い相手に対して心臆するときは

こいつは女房とするときはどうしてするならんと想像して相手をみれば

ちっともこわくなくなるものなり。



ずいぶんエゲツナイことを考えるものですが

それにしても竜馬ほどの男でも

  偉い人に接するときには心が臆したといいます。

そこが人間らしくて おもしろいと思います。


ただし その弱さを 「女房とするときは・・・」など

凡人には思いもつかぬことを考えて 克服した

  ・・・ その図太さは尋常ではありません。


竜馬のいう「偉い相手」は

衣服もリッパだろうが 精神的にも 威厳 能力 地位など

  いろいろな衣装をまとっている。

その衣装にたいして 心が臆するわけです。


「女房とするとき」を描くのは

目のまえにある現実の逆を考える 考え方の技術であり

  ・・・ 開きなおることです。

想像においてその衣装をはぎとって ハダカにしてしまうわけです。


ハダカの姿において 相手も我も 万人みな同一であって

  ・・・ 甲乙 上下の別はありません。

そこで 臆する心が消えることになります。


相手をハダカにしたことによって 相手とのあいだの壁がなくなるのです。



こういう想像によるストリップ・ショーは

           ・・・ いくらでも演出できるでしょうね。