気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

名も・金も・命もいらぬ ・・・ 2.自由人

2010-08-13 13:24:44 | Weblog
世人はたいてい 命 名誉 官位 金銭に執着しています。


そのなかにあって 「オレはそういうものはいらぬ」というのだから

通念のカベを破ること 考え方の革命 徹底的な開きなおりです。


こういうふうに開きなおることのできる人は

  ・・・ 「始末に困る」という。

欲で釣って動かすことのできない

  ・・・ 完全に自由人だから 扱いにくいのです。


そして そういう扱いにくい人でないと

  国家のために ともに力を合わせることはできないという。


私心をもってしては

  ・・・ そのような大業を全うすることはできないからですね。


当節の政治家諸公を眺めわたしてみると 失礼ながら

  ・・・ 始末に困らぬお方ばかりに見えてしかたありません。


もっと困らせてくださいヨ。


でないと 国家の大業を

  安んじておまかせすることができませんから ・・・ ネ。


自ら由(よ)らぬ不自由な人に政治をまかせていると

  日本の国が不自由になり ゆきづまってくるのです。

すでにかなりに 不自由な国になってきているではありませんか?


人の眼から見て始末に困る人をこそ

  ・・・ 天はもっとも扱いやすいのです。

私意ではなくて

  ・・・ 天意のままにこそ 動こうとするからです。




名も・金も・命もいらぬ ・・・ 1.西郷サン

2010-08-13 09:28:30 | Weblog
  西郷隆盛 話せる男

    国のためなら 死ねという ・・・


無私の人 腹の男 バカでっかい人間ということになると

どうしても「西郷サン」が思い出されてきます。

じっさい

  これほど大きな人間は めったにあるものではないでしょうね。


かれの有名なコトバのひとつに ・・・


  命もいらず

  名もいらず

  官位も金もいらぬ人は始末に困るものなり。


  この始末に困る人ならでは

  艱難(かんなん)を共にして 国家の大業はなし得られぬなり。


・・・ というのがあります。

言っただけでなくて じっさいかれは これを実行した人でした。


「いらぬ」というのは

命 名誉 官位 金銭というようなものに

  私心 欲心をもって執着することをしないことを言います。

もっと大きなものに第一義の 絶対の価値をおくゆえに

  これらのチッポケな 相対的な価値を超越できるのです。





もう一人の自分 ・・・ 3.いのち

2010-08-13 08:20:48 | Weblog
夜眠ろうとしても眠れない。

眠ってはならぬと思いながら眠ってしまっている。


このようなことがありますが

眠ってしまって 自分は何も知らないのだが

  布団を着ていたり 暑ければ足でけっていたりしています。

自分は眠っているのです。


しかし

心臓だけは生きどおし生きて 肺で呼吸をしてくれています。


どうも もう一人の自分がいるのです。


「息をしていてくれよ」と頼んだわけでもないのに

また 食べたものを朝になれば便所に行かせて出してくれたり

自分の意図しないところで

  ・・・ 生きていてくれるもう一人の自分がいるのです。



いのちなのです。


自分が自分を育てているのですが

真は自分が自分を育てているのではなくて

育てさせるもう一人の自分が ・・・

本当の自分が ・・・ 自分を育てているのです。


いのちの知恵なのです。


夜といわず 昼といわず

  生きどおし生きている そのいのちのおかげで

この身が育ち

この身をもって いろいろなことを身につけていまして

    ・・・ 自分をこのように成長させてくれたのです。




    (2010/5/25 撮影 エジプト)
 




もう一人の自分 ・・・ 2.眩惑

2010-08-13 07:03:15 | Weblog
外側ばかりに心が向くのも

自分の尊さなり素晴らしさを覚(し)ないからだろうと思うのです。


内側の開発を忘れているから

外側の社会のムードや評価に眩惑されてしまうのです。


眩惑されていることに気づかずに生活していると

  成長するにしたがって だんだん自分でなくなっていく

人のやることをまねての生活は 自分を弱くしてしまうから

  他に依存していかなければ安心できないようになっていきます。


そのために 不安の心で毎日イライラして その日暮しをする。


これでは 何のための人生かわけがわからない

何をしに生まれてきたのだろうか

      ・・・ と考えずにおれなくなるのは 当然でしょうね。




    (2010/5/25 撮影 エジプト)






もう一人の自分 ・・・ 1.再発見・再自覚

2010-08-13 06:13:12 | Weblog
日々の生活をかえりみるとき

この身の内容については目もくれず

この自分という存在を当然のものとして

  いや 当然と思うことさえ気づかずにいます。


この身をもって

幸せになりたい よい目に会いたいなどと

  外側にばかり向かって生きている生活を考えるとき

それでいいのか 自分自身の内容を明らかに覚(し)らず生きていて

  それで自分を真実生きているといえるだろうか

・・・ と思わずにはいられないのです。


人間のこの身の素晴らしさを本当に覚(し)るならば

自らが 自らを再発見 再自覚して

  もっと異なったピチピチした生活になるのではないだろうか

      ・・・ かと思うのです。




    (2010/5/25 撮影 エジプト)





生き方 ・・・ 4.決心

2010-08-13 05:03:58 | Weblog
「あり」のような生き方

「くも」のような生き方

「はち」のような生き方  の三つに分けられ

  人間誰しも この三つの要素をもっています。


ただ この三つのうち
 
比重がどれにかかっているか いや どれにかけているかということが

その人をして

  蟻のような生き方にも

  蜘蛛のような生き方にも

  蜂のような生き方にもしていくのです。


人生とは

その人の意志いかんでどのような生き方もできる というように

  自分がどのような立場から どのように統(す)べて生きるか。


さらにいえば

その人の内容のいかんが 自らの人生を

  ・・・ その人なりの人生にしていくのです。


ですから

人生は その人の内容以上でもなければ 内容以下でもない

  ・・・ 内容通りの生きざましかできないのです。



自分はこのように生きていく このような生きざまの人になるのだ

  ・・・ との決心が大事だ と思うのです。