気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

短気な人・気長な人 ・・・ 6.セッカチ民族 (3)

2010-08-17 21:02:25 | Weblog
ロシア人や中国人の「悠々たる気質」は

  とてつもなくデッカイ自然をこそ 母として生まれてきました。


「気が長く 呑気で 視野が大きく 万事あわてない」のです。


私たちは

民族的な長所(感受性が鋭い 感覚がこまやか)は

  伸ばさなければなりませんが

短所(セカセカ イライラ 動揺しやすい 怒りっぽい)もまた

  よく自覚して その弊(へい)を防ぐことにも努めるべきでしょう。


気の短い者の「断」は 「満を持する」ことがたりないために

マトからそれたり

  これにとどかなかったりする可能性が多い ・・・ からです。



個人としても 民族としても この点を自戒すべきである

  ・・・ と 思いますね。





短気な人・気長な人 ・・・ 5.セッカチ民族 (2)

2010-08-17 17:03:29 | Weblog
「気が長い」ということでは

  ロシア人や中国人をあげるべきでしょうか?

(とくに現在の中国人は概して?がつくような気もしますが ・・・ )


国土の広大さや自然のスケールの大きさで 世界で一、二の民族です。


「ドント・マインド」の教訓をビスマルクにあたえた一農夫の気質は

彼個人のものというより

  ロシア人そのもののそれであったのかもしれません。



  万里の長城で 小便すれば

      ゴビの砂漠に 虹が立つ


というような雄大な戯歌(ざれうた)は

日本の箱庭ふうの自然を素材にしたのでは

  ・・・ とてもつくることはできません。



「どうせやるなら でかいことなされ」とデカンショ節でうたってみても

  そのあと「奈良の大仏 屁で飛ばせ」ぐらいのことしかいえません。


・・・ 自然のスケールのケタがちがうから いたしかたないのです。







短気な人・気長な人 ・・・ 4.セッカチ民族 (1)

2010-08-17 15:59:50 | Weblog
国民性にも 気が長い 気が短い のちがいがあります。


日本人はどうでしょうか? というと ・・・

これは文句なしに短気のほうに属するでしょうね。

あるいは 「世界に冠たるセッカチ民族」であるのかもしれません。


日本人ほどセカセカ イライラしている民族は

  この地球上のどこにも見出せないかもしれません。

・・・ これは自慢にならないことです。


日本人のかけがえのない(おそらく 世界でも有数の)長所は

「感受性が鋭い 感覚が細やか」であることです。


「センシィティヴ」(sensitive)なのです。


これはたぶん

変化に富んだ美しい自然や 四季ののデリケートな移ろいというような

  風土的な条件から生み出されたものでしょう。


しかし 日本の自然は 美しいが雄大さに欠けます。

「箱庭」ふうで スケールが小さいのであり

これが日本民族の セッカチで 視野がせまくなりがちな国民性

  ・・・ につながっているようです。


「センシィティヴ」には

  「傷つきやすい 動揺しやすい 怒りっぽい」

    という意味もまたあるが ・・・

これらは日本人の欠点を表すものでもあるようです。


つまり

日本民族は 諸外国の人たちと比べる限りにおいては

  良くも悪くも 神経質な民族である ・・・ ということですね。



 

短気な人・気長な人 ・・・ 3.便秘症

2010-08-17 09:03:08 | Weblog
便秘症の人は総体的に 気が短いのではないか

  ・・・ と思ってみることがあります。


ジッとしていることが苦痛であるために

  「出るまで待とうホトトギス」という

    悠長な態度をとることができません。

ホトトギスのほうは 出るつもりでおられるのに

充分な時間を貸してやらないで 立ち上がってしまうから

  出るに出られなくて 「じゃ 引っこもう」ということになります。


これが癖になって フンヅマリ現象を起すのではないでしょうか?


そういう心理的な要因が

  便秘の少なくも一因としてあるのではないか? と思うのです。





短気な人・気長な人 ・・・ 2.「 糞読 」

2010-08-17 07:03:52 | Weblog
トイレで「大」をあそばす時間にも

  人によってずいぶん長短の差があります。


必ずしも排便機能のよしあしだけによるものではなく

  精神的な気質にも支配されるようですね。


これのとくに長い人のことを 「長ッ尻」といいます。

お尻が長いのではなく これを使うに要する時間が長いということです。



江戸時代中期の南画家 池大雅(いけのたいが)など

  この「長ッ尻」のチャンピオン・クラスであったそうナ。

煙管(キセル)を持ちこんで そこでタバコを何服もふかす。

ひとたび入ったら なかなかのことではお出ましにならぬ。

そこで 彼を訪ねた人たちは
 
  大雅家のトイレの窓から煙が出ているのをみると

  「きょうはとてもダメだ」とあきらめて 引き返したそうです。



いまの世にも ここで 新聞などを読む人もいるし

ちょっとした本棚を設けて トイレ兼読書室にしている人さえもいます。


こういうのを 「糞読」というそうです。

ここで 英語の単語を憶えると

  よく頭に入るという受験生もいるそうです。



これらはすべて 「気が長い」人たちです。








短気な人・気長な人 ・・・ 1.気質

2010-08-17 06:18:31 | Weblog
『長短』という古典落語があります。


登場人物はふたりだけで ひとりは気が長く ひとりは短い。

この気質のちがいを漫画的に誇張しながら

  ふたりの一場のやりとりを おもしろおかしく描いたものです。



いつの世にも 気の長い人と短い人とがいます。


入浴ひとつをとってみても

気の長い人はだいたい その時間も長いとしたものです。

ぬるめの湯に30分も1時間も
 
  鼻歌を歌いながら ゆっくりつかっています。


短気の人は いわゆる「カラスの行水」で

  熱い湯にサッと入って サッとあがる。

長くジッとしていることが じれったいのです。


一般的にいって 血圧の高い人は気が短いようです。

いつも ・・・ 「ジッとしていられない」人たちです。






ひどい欠点は直しやすい

2010-08-17 05:31:03 | Weblog
「軽い欠点は直しやすいが ひどい欠点は容易には直らぬものだ」

  と 人は思いやすいものです。


この判断 決してまちがいではないでしょうが

  しかし 「反面の真実」でしかないように思われます。


「いちじるしい欠点のほうが直しやすい」という理が

  一面にはまたあるのです。


なぜかというと

ひどい欠点は 自分で気がつきやすいし 気がつかざるをえません。

また このような欠点があっては世を渡りにくいということが

  容易にわかります。


「人格上の致命傷」ともいうべき欠点は

  矯正の意欲の対象にならざるをえないし

    その意欲は不屈のものに 容易になることができます。

直さなければ 自分自身が生きづらい

  ・・・ ときには 生きる場所もなくなる ・・・ からです。


「特別にダメ」であるからこそ ・・・ 心がけの如何によって ・・・

  特別のものを身につけうる可能性をもっているからです。



だから

そのように自覚なさる方は 絶望するのではなくて ・・・

逆に 変身への希望と勇気をこそ 心に抱かれるべきでしょうね。






通信簿 ・・・ 4.自立できる力

2010-08-17 04:48:10 | Weblog
親は 自分のできなかったことをわが子に託して

その尻をたたいたり

親の苦労を子どもにさせたくないという思いで

  子どもの欲する前に 親が調えてしまう。

しかも それらに手をかけ口をかけ 世話をやくことが

  親としての愛情だ などと思っているのですから

・・・ 恐ろしいのです。


そのような愛では 子どもは育たないし

子ども自身が自らを育てようとする力を培うようにならない

  ・・・ のは当然でありましょう。


わが子が自立する力をもってくれなければ

  子どもが死なないうちは 親は死ぬこともできないことになります。


たとえ親が死んでも

子どもがりっぱに自立できる力をもたせるのが

  親というもの ・・・ ではないでしょうか