気の広場

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生き方 ・・・ 3.蜂(はち)の生き方

2010-08-12 10:36:05 | Weblog
蜂のような生き方というのは

蜂は 自分がこれはと思う花を選択して

  花を侵すことなく その蜜香を収集して

自らがもっている能力とミックスして

  蜂蜜を創造するという生き方をします。


人も 自分の能力を精いっぱい開発して生きることが

  人生の成就ですから ・・・

そのためには 外側のいろいろなことの中から

  自分が これだとするものを選択して

それを吸収して能力の高揚をはかり

  いのちいっぱい 精いっぱい生きていく。


・・・ 自己の創造という生き方であり 人格主体の生きざまです。



この「蟻」「蜘蛛」「蜂」の生き方は

  戦後65年の日本人が生きてきた道すがらでもあり

  また 各人の生きざまでもあるわけです。


新聞やテレビなどで見聞する現代世相をもっていいますと

殺人 強盗 暴力団などの生きざまは

  蟻のような 自分の都合勝手な生き方と同じでしょうし

現代人の生き方の大半が

  蜘蛛のように 功利的な打算的な発想から生きる生きざまを

    ・・・ しているのではないでしょうか。


現代世相は 蜘蛛のような生き方を基盤にしたもの

    ・・・ であろうかと思うのです。


しかし

世間の評価や ムードに侵されないどころか

利害打算を超えて

  人間の真実道そのもののごとき生きざまをしている人

    ・・・ も 少なからずいます。


それを見聞きするとき 心温まる思いと

このような素晴らしい人たちがいるからには

    ・・・ 大丈夫だと安心もし 敬服するのです。


それは 「蜂」のような生き方の人に対してです。










生き方 ・・・ 2.蜘蛛(くも)の生き方

2010-08-12 07:49:47 | Weblog
蜘蛛の生きざまは

  欲望的で打算的な「労少なく功多し」といった生き方です。


蜘蛛は 雨が降ろうが風が吹こうが獲物がかかる確信がもてるまでは

  巣を張りますが

これでよしと決めこむと巣のど真ん中に坐りこんで

  獲物のかかるのを待っています。



人も 生活圏が決まるまでは

  いやでも勉強もやりますし いろいろな努力もしますが

社会に出て就職しますと

  これで生活圏が確保できたとするからなのでしょう

・・・ 半数以上の人たちは ほどほどに生きてしまうのです。


自分の思いが 欲望がかなうなら工夫も努力もするのですが

なるだけ無駄なこと 得にも成らぬことは一切しない。

いわゆる 親方日の丸的な生き方をするのです。


自分の能力を打算的に判断して 得がなければ使わぬという

いわば 宝の持ち腐れをしているような

    ・・・ あまりにも功利的な生き方をする人であります。









生き方 ・・・ 1.蟻(あり)の生き方

2010-08-12 06:45:29 | Weblog
人の生きざまを思うとき ・・・

  私は 下村湖人の例話を思いだします。



「あり」のような生き方

「くも」のような生き方

「はち」のような生き方  の三つに分けられているのです。



はじめの蜂のような生き方 とは肉体護持のためといいますか

生きるために 生きる生存本能のままという生き方です。


蟻はよく働きますが それは集団的生存本能とはいえ

ただ生きるために 食えるものはトンボのしっぽでも

  うじ虫でも何でもかんでも寝ぐらへ運ぶ。

食うために働く 生き延びんがために生きる。


自分が生き延びるためには 方法は論じない。

他を顧みない わがためだけの わが種族だけが生きる生き方です。

自分のため 生き物としての生命欲という本能のままの生き方

  恥も人目も問題にしない ・・・ そのような生き方をする。



ちょうど 戦後2、3年の頃の生きざまによく似ていると思うのです。