気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

人生 ・・・ 5.自省自戒

2010-08-14 20:05:52 | Weblog
  子 親を苦しめず  親 子に苦しむ。

  妻 夫を苦しめず  夫 妻に苦しむ。


外側の事々が 自分を苦しめているのではない。

自分が 外側の事々を 見て 聞いて どう受けとって

  どう対応していくか ・・・ 一切は自分にあり というわけです。


そうした心の問題を 古人は


  心こそ 心迷わす 心なり  心に心 心ゆるすな


・・・ と教えています。


この歌の

「心こそ」の心は 自分との関わりによっておこる心です。

見て聞いて触れて どう見取り どう聞きとり どう感じとったか

そうした心が「俺が」する 「私が」とする心を迷わすのですから。


外側を見聞きし理解する心が 対応する自分の心を迷わすのです。

だから

迷わす心と迷う心の二つの心での生活にになるのです。


が ・・・ それではならぬぞ と

「心に心 心ゆるすな」 ・・・ と 自省自戒をうながすのです。


人間を自覚した心です。

開き直った心や すましこんだ心とは ・・・ 全く違った心です。




 




人生 ・・・ 4.一切は自分にあり

2010-08-14 18:11:02 | Weblog
私は 開き直ることも 超然とかまえることも本当でない と思います。

必ず心の底では そうした自分を嫌悪しているものがあります。


「人生思うようにならない」と覚(し)る。

その心こそ

  人間の知恵であり

  考える始まりであり

  自分を 人生を みつめる心なのです。


江戸時代の僧 売茶翁(ばいさおう)は

「貧 人を苦しめず  人 貧に苦しむ」と 人と貧との関わりについて

  いみじくも指摘していますが ・・・ まさに 名言です。



貧を 金銭的にだけ解さずに 環境として

  例えば「人」とか「物」とか「仕事」でも「地位」でもいいのです。

そうして

人を 自分なり自分の「心」なりにして

  よく噛みしめ味わってみて下さい。
 


その例 ・・・ です。


  子 親を苦しめず  親 子に苦しむ。

  妻 夫を苦しめず  夫 妻に苦しむ。


・・・ まことに切実な指摘です。


外側の事々が 自分を苦しめているのではない。

自分が 外側の事々を 見て 聞いて どう受けとって

  どう対応していくか ・・・ 一切は自分にあり というわけです。




人生 ・・・ 3.人の内容づくり

2010-08-14 14:20:13 | Weblog
人の一生は 単なる我一人だけのものではなく

自分の生きざまの一つひとつが

  自分と関わる他の人々に影響していく ・・・ のです。


俗に

「子どもは 親の言うことはきかぬが 親のすることは身につける」

  といいますが ・・・ それであります。


また 人の生きざまは その人の内容如何 ということになります。

「人生とは その人の内容以上でもなければ 以下でもない」

  といわれるのも ・・・ ここであります。


そうした 人の内容づくりの重大さを理解しても

いまさら修行だなんて

どうせ思うようにならぬ人生なら
 
  ・・・ と開きなおる人もあるでしょうし

悟ったかのように 万事心のもち方ひとつだ

  ・・・ という人もあろうかと思います。


しかし この心の問題だといっても

  環境であるとか

  物なり お金なり

  また 体などによる関わりに ・・・ 心はゆれ動きます。


なかなか簡単には 「心ひとつ」と超然としてはいられない

  ・・・ のが本当だ と思うのです。





人生 ・・・ 2.生きざまは残る : 業

2010-08-14 11:09:42 | Weblog
人は誰も
 
自分で希望して生まれたのでもなければ

  注文して死んでいくのでもありません

    (自殺という死に方は 例外でしょう)。


自分の意志によらない生であり 死である ・・・ ということです。


人はみな

わがいのちであって じつはわがいのちではない。

そういういのちによる存在なのだ ・・・ ということです。


しかも 生と死の実態は

何一つ持つでなく 裸で生まれてきて 裸で死んでいかねばなりません。


人は誰も

命どころか 我ものは何一つない我 ・・・ なのです。


あるといえば ・・・ 「生きざま」だけです。


生きざまは 自分の意志でどうにでもなります。

いや なるどころか 生きざまだけは ・・・ 死んでも残ります。


業(ごう:はたらき 身と口と意の三業)だけが残る のです。

ここに

生きるということを 人生ということを

  だれもが「人間の大事」として真剣に考えずにはいられない

    ・・・ ところがあるのですね。












人生 ・・・ 1.思い・願い

2010-08-14 08:41:47 | Weblog
誰でも 自分のたった一度の人生を

  自分なりに納得のいくものにしたい

  幸せな暮らしができるようにしたい

    ・・・ と願っているのではないかと思います。


そこでまず 納得のいく人生ということですが

しぼっていえば

  生きがいのある毎日

  働きがいのある日々 ・・・ ということでありましょう。


「しあわせ」といえば

  家族が 健康で 明るく 仲よく

  お金にも恵まれ

  社会的にも恵まれて

  自分の思いがほどほどに叶う という人生でありたい

    ・・・ ということになるのだと思います。


しかし 人生は

  ・・・ 自分の思いや願いどおりにはまいりません。






運命 ・・・ 命と魂の運び屋

2010-08-14 07:00:53 | Weblog
運がよいとか悪いとか

運気に恵まれると恵まれないとか ・・・ 運は都合のいい言葉です。


人が成功すれば 「あいつは運がよかっただけだ」とやっかみ

自分が失敗すれば 「運がなかったんだ」と言い訳をする。


しかし

この世に「運がない人」なんて 一人も存在しないのです。

なぜなら

人は誰でも 何よりも尊い「命」という

  ・・・ 大きな財産をもって生まれてきたからです。


「貧乏な人」もいません。

あなたが親から受けついだ「命」という財産は

  ・・・ どんな財宝にも代えがたい宝です。



自分で「貧乏だ」と思っている人は

  自分の豊かさ 命の尊さ 自分のすばらしさに気づいていません。


「運ばない人」は

  自分がどんなに尊いものを運んでいるのかに気づかずに

  どう運ぶかをわかっていないだけのことなのです。



「運命」とは 「命を運ぶ」と書きます。自分の命を自分で運ぶこと。


運ぶものがある限り 運はなくなりません。

命を失って初めて運を失います。


しかし

命を失っても 魂 伝統 文化 誇り といった財産は

  誰かのもとに運ばれ引き継がれる限り ・・・ 永遠に不滅です。


人はみな 命のある限り ・・・ 命と魂の運び屋なのです。



「運」とは 創造性ゆたかな 生き生きとした活きの良い魂を

  自分自身がエンジンである「人力車」で運んでいくことです。