気の広場

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スポーツは ほんとうに体にいいのか?

2010-08-22 18:03:16 | Weblog
スポーツは 健康で丈夫な体をつくるのが目的 ・・・ 
  そう考えている人もたくさんいると思います。
でも 同じスポーツばかり続けていると
  体をこわすこともあるので注意が必要です。

プロのスポーツ選手にはケガがつきもの。
引退するときの理由は ほとんどケガですよね。
それに現役時代から <腰痛>や<膝痛>のほか
  いろいろなスポーツ障害に悩まされています。
素人の誰だって
  頑張りすぎれば体を痛めてしまう危険性があるのです。

テニスでは <テニス肘>
ゴルフでは <腰痛> <変形性関節症>などが心配ですし
エアロビクスは <足首の損傷> <股関節障害> <膝痛>
水泳では <腰痛> <肩や背中の障害> 
  などが起こる危険性があります。


それから とくに女性が注意したいのは
  運動によって「婦人病」の原因をつくるものがある ということです。

「女性の時代」の表れか 最近では
男性なみのはげしいスポーツをする女性が増えてきましたが
  ・・・ 女性にとってもっとも危険の大きいのが 「マシンジム」。

重いバーベルを持ち上げた拍子に
  ・・・ 子宮の位置がずれてしまうことがあるのです。


また 最近
  若い女性のあいだで<子宮内膜症>という病気が増えています。
この病気は 月経血となって月に一回はがれ落ちる子宮内膜の組織が
  卵巣内や直腸の範囲で増殖するというもので
多量の月経血が逆流して
  子宮以外の部分に入るなどのケースが考えられます。

女性が激しいスポーツに向かないとされてきたのは
  それなりに ちゃんとした理由があってのことなのです。


もちろん スポーツには筋肉を引き締め 強くする効果がありますし
  心肺機能を高め 病気やケガに強い体をつくります。
それから 体内の脂肪が燃えやすい体質をつくる効果もあります。

けれども ・・・
それはあくまでも「自分にあった適度な運動」であることが大切で
  やみくもに 体をこわすまでやっては なんの意味もありません。  


真の強さとは ・・・ 克己 その続き

2010-08-22 09:57:48 | Weblog
克己をめぐる名言といえば ・・・


「自分に克つのが最大の勝利である」 (プラトン)


「最上の戦士とは 戦場で千人の敵に勝つ人ではなくて

  たった一人のおのれに克つ人である」 (『法句経』)


 などが思い出されますが ・・・


「力あり」と「強さ」の言い分けの絶妙さによって

  老子の言のほうがパンチ力があるように 私には思われてなりません。


「・・・ 他ニ勝ツ者ハ力アリ 自ラ勝ツ者ハ強シ」 (老子)


ぜひとも 声に出して言ってみられることを おすすめします。



どうやら 「他に勝たん」と「自らに克つ」の二つの心は

  二律背反的にそむきあうようです。


老子がいましめた「為しすぎ」の多くも
 
  「他に勝つ」ことにはやる心からこそ

    ・・・ 生まれるのではないでしょうか。



<うつ病>や<ノイローゼ>におちいる人たちも

  じつは「他に勝たん(負けたくない)」とする想念が強いのであり

その願望をうまく実現できないために

  ・・・ 心が「落ちこむ」のではないでしょうか。

一種のふてくされ ・・・ と いえないこともないのです。


劣等感の本質も 「他に勝ちたい。しかし 勝てない」という

  ・・・ 欲求不満でこそある のではないでしょうか。


これとは一見反対 異質のものに見える ・・・

  暴力的 破壊的な行動に走る人たちも やはり

「他に勝たん」の欲望を低い次元において

  ・・・ 歪んで発動させているのだ と思われるのです。







真の強さとは ・・・ 克己 

2010-08-22 08:11:06 | Weblog
・・・ 他ニ勝ツ者ハ力アリ 自ラ勝ツ者ハ強シ。


老子の言葉です。



「自勝」は ミズカラニ勝ツ と読んでもよいでしょうし

また その意味でもあります。

いわゆる 「克己」のことです。


勝負なり 競争なりにおいて 他人に勝つのは 力(才能)があるのです。

それはそれなりに価値があるでしょう。

しかし それはそれだけの 相対的な(二義的な)価値でしかありません。

いくら他人に勝っても

  ・・・ それをもって「強い」とは いえないのです。


第一義的な絶対の価値は 自分に勝(克)つこと それだけにあります。

それのできる人だけが 真に強いといえるのです。

他人との優劣 勝敗は 第一義的にはどうでもよいことです。

人生において真に相手とすべきは ・・・ この自分自身だけ なのです。



・・・ といった意味なのでしょうね。



「力あり」と「強し」の区別をよく味わい

  その次元の深浅の差のほどを よくよく認識すべきだ

      ・・・ と思われます。





塾 ・・・ 受苦 その続き

2010-08-22 06:42:39 | Weblog
子どもを放ったらかしにしておくのが 「無為」。


子を思うゆえに やたらに口や手を出したくなるのを

「待てよ そこまでやっては ・・・ 」

  ・・・ と 自制力のブレーキをかけるのが 「無為を為す」。


その「為す」ができるためには

  自己支配力とともに 聡明さが必要であるはずです。


誤った「有意」が多い母親は

子にたいして真に必要な「為す」 ・・・

  人間としての基本的な躾(しつけ)といったような ・・・ は

なおざりにしていることが多いように思われます。



このような強い母親は 夫にたいしても口出しの多い

  「小うるさい女房」になりやすいのではないでしょうか?


その度が過ぎると 夫の心は萎縮して

  ・・・ リンリンたる男らしさを発揮しにくくなるでしょうね。


その出世 昇進をうしろからあおり 責めたてるようになったら

  これは もはや最悪 ・・・

まともな男なら

  ・・・ 蒸発したくなる にちがいありません。





塾 ・・・ 受苦

2010-08-22 05:35:02 | Weblog
現代との比較においていうかぎりは

むかし(戦前)の母親たちは5人なり8人の子たちを

  無為自然に育てたものです。

こまかいところにまで手出し 口出しをする暇がなかったからですが

その無為のおかげで子どもたちはスクスク ノビノビと

  ・・・ 自然に(ゆがめられないで)育つことができました。


・・・ かまわれすぎる子たちを 私は不幸だと思います。


「塾」を いちがいに悪いといえないでしょうが

親が 必要のない欲や心配から 子らをこれに「駆り立てる」のは

  「有意」がすぎるのでしょう。


拙宅の近所にも 幼稚園児を算数の塾へ 小一の子を英語塾へ ・・・

  というような「教育熱心」な母親たちがおわします。

ご尊顔を拝したてまつると

  「柔弱」な福相とは お世辞にも申せないようです。



結果はどうなるでしょうか?

・・・ こと 志にそむいて

  「じゅうぶんに遊ばせないと 子どもは馬鹿になる」
             (英国の俚諺=「正言ハ反ノゴトシ」)

    ・・・ を 地でゆくことになりはしないでしょうか。


ある落語家いわく

  「塾がよいの過ぎた子は 人間的には半熟未熟に終わりやすい」

    ・・・ なるほど ナルホド。


まして 子どもにとって 塾は ・・・ 受苦 にすぎません。