気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

許される憤慨(ふんがい)

2010-08-27 17:45:06 | Weblog
自分のことを棚に上げて

  他人に憤り(いきどおり)を感じるのは恥ずべきことです。


しかし ・・・

もし 子どもたちのように柔軟性に満ちた人間なら

つぎのようなときには 本気で他人に憤慨(ふんがい)しても許される

  ・・・ と思いますね。



  おとながよく口にする

    「○○してくれたら ○○してもいい」などの

      交換条件が出てきたとき。



  自分がやってもいない作業を他人にヤイヤイ言う同僚を見たとき。



  自分のまじめな発言を
 
    他の人が冗談ばかり言ったり

      騒いで ちっとも聞こうとしてくれなかったとき。






重荷を軽く ・・・ 親が育ててくれた力

2010-08-27 14:03:53 | Weblog
重荷にたいして「やあ まいった まいった」

  と 頭のうしろをたたきながら気軽に対処しているとき

・・・ 重荷は 軽荷になっています。


これは「うれしい悲鳴」などというシロモノではありません。

ただ 重荷を軽減できる力が自分の中に育っていた ということです。



「子どもがね こんないたずらをして困るんですよ」 そういいながら

  困惑を喜んで受けとめて 育ててくれた両親あればこそ

  ・・・ 自分もまた 重荷を軽くする力を伸ばしてもらえたのです。


親とは じつにありがたいものです ・・・ 。










マイペース ・・・ 感謝・喜び

2010-08-27 06:43:56 | Weblog
「なんとかマイペースでやっていこう」と努力すること自体

  ・・・ すでにマイペースをこわしています。



マイペース いっぱいいっぱいというのは

  ・・・ 自分の置かれた現場に感謝することです。



置かれた現場に感謝し 喜ぶことで

  ・・・ われわれのマイペースは保たれます。





毎日が誕生日 ・・・ 生気に満ちて

2010-08-27 06:12:22 | Weblog
今日という日は

  いかなる偉人も賢者も聖人も未経験の日です。



だれが どんなふうに最高の経験をするか。

その意味では だれもが

  平等のスタートラインに立たされています。




さっきまでの疲れや

  これからの段取りが あれこれひっかかっていては

いま目の前にある仕事に

  生き生きと取り組むことができるはずがありません。



私たちは

  つねに生まれたての生気に満ちたものでなければなりません。

つまり ・・・ 毎日が誕生日なのです。