気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

出す ・・・ 4.汗をしぼり出す

2010-07-29 06:16:18 | Weblog
文明社会のひとつの大きな不幸は

  汗を出すことがあまりにも少ないことです。

人にもよりますが

  平均的にいえば 発汗量が極度に少ないのです。


むかし(機会文明以前の社会で)は

働くこと 歩くこと すべて 汗を出すことに通じていました。


発汗は小便と同じく 老廃物を出して 捨てることです。

だから 大いに汗を出せばそれだけ 体も心もサワヤカになり

  ・・・ それだけ気が発動してくるはずです。


思い悩むことの多い人は

  ときどき 思いきって汗を出してみられるとよい。

スポーツなり 肉体労働なりでしぼるように汗を出し

  ・・・ クタクタに疲れてみるのです。

くだらない「思いわずらい」などは

  ・・・ 浮かびようがなくなるでしょうね。



体液を清めれば 頭も清まります。


発汗は 「頭の掃除」法 ・・・ でもありうるわけです。





出す ・・・ 3.息を吐ききる

2010-07-29 05:02:08 | Weblog
新鮮な酸素が不足すれば 生命機能にブレーキがかかり

  頭の働きも鈍くなります。心も曇ります。


だから 深呼吸をときどきすることはよいことですが

たいていの人は そのやり方をまちがえています。


両手を広げ、胸を反らせ 天を仰いで大きく吸い

  それから 前こごみになって吐く。

だれでもそうするのですが それがオカシイ ・・・ 。


「呼吸」という字のとおり
 
  「呼」が先 「吐いて吸う」のが正しい順序。

だから 大げさに腕など使う必要などありません。


口をちょっと尖らすようにして

  息をしずかに しずかに 細くゆっくりと吐きます。

吐ききったらその反動で ことさら吸おうとしなくても

  新しい空気が自然に 急速に入ってきます。


だから 要は「吐ききる」ことだけをすればよいのです。

つまり 深呼吸ならぬ「深呼」だけで ・・・ じゅうぶんです。


このやり方だと 自然に腹式呼吸はできるし

  無理のない精神統一法にもなります。

また 歩きながら 乗りもののなかで 仕事のさいちゅうに など

  時と場所を選ばず いつ どこでも自由にできます。

ことさらの動作を必要としないからです。


「深呼」が無意識の癖になるほどになれば

・・・ 生命力のヴォルテージが一段とあがることは 必定です。










不平の多い人ほど弱い

2010-07-28 17:00:07 | Weblog
「感謝」などというと

  古くさい道徳を持ち出すように思われるかもしれませんね。

しかし
 
これが古くさく見えるというなら

そのように見させる世のなかこそ

  まちがっているのではないでしょうか。



人間の「強さ・弱さ」についていろいろと観察し 考えてみた結果

「不平の多い人ほど弱い」(弱い人ほど不平が多い)
 
  ・・・ と思うようになってきました。


自分の成長過程にかえりみてもそうで ・・・

不平・不満が減ってきたことが とりもなおさず

  精神的に強くなってきたことにほかならない ようです。


「不平のない人 少ない人が強い人」とは

  ・・・ じつに簡明で 深遠な法則です。



不平の反対は 「感謝」です。


であるならば 感謝という徳をもちだすことは 古くさいどころか


不平ゆえに心の弱い人が かくも多い いまの世においては

  ひとつの急務とさえいうべきではないでしょうか?


自由 個人主義 権利の主張 ・・・ などの はきちがえが

  感謝とか「恩」とかの思想を忘却させ

その結果

  不平 不満のたくましく人心にはびこり

そのまた結果

  精神的な拠りどころをもたぬ 心弱きものたちがふえて

ノイローゼ社会(古い用語で申しわけなし)ともいうべき世相を

  つくりだしてしまった

    ・・・ と考えるのが正しい判断なのかもしれません。


周辺にいる精神的にたくましい人たちを よく見てください。

かならずかれらは
 
  不平をもつことが少ない人たちであるはずです。

  (ではありませんか?)


もしあなたが 自分をいちじるしく弱いと自覚されるなら

あなたはまちがいなく

  他人一般よりも不平が多いで人であるはずです。

  (でしょう?)


不平の少ない人が

  強い人 幸福な人 人生をおもしろく生きることができる人。

不平の多い人は

  その逆 です。



たしかに たしかに その通りであるにちがいありません。








出す ・・・ 2.精を出しきる

2010-07-28 05:28:04 | Weblog
「ご精が出ますネ」と挨拶します。

何かあることにイッショケンメイにうちこみ

努力している姿にたいする 賛辞であるともいえます。


精は 精力 精気 精神 精魂 ・・・ などの精で

「まごころ・気力・たましい・生命のもと・神」などの意味も

辞書には載っています。


だから「精を出す」とは 肉体的に励むことはもちろんですが

それ以上に 心をうちこんでやる ことをいっているのでしょう。

つまり 気を出してことにあたる ということです。

それが わが身の健康にもプラスする というのです。


努力なき身に健康なし ・・・ そう解釈することもできますね。


心身の精気を出し惜しんではなりません。

それは けっして尽きるものではないから。

いや 出せば出すほど 生命の奥から 新しいより強力な精気が

  どんどん涌き出てくるものなのだから。


生命力の泉は井戸水に似ています。

掘り井戸の水をぜんぶかいだすと
 
  新しい真清水がコンコンと涌き出てきます。

古い水をかいださなければ 新しい水は湧いてきません。


人の精気も同じことで

  出し惜しんでいては 新しい力は涌き出てきません。

それは自分の生命力に みずからブレーキをかけることで

したがって 健康にもブレーキがかかってしまいます。


「精」を出せば出すほど 心身の健康を高めるわけで

それゆえこれが
 
  有力な「出す」健康法のひとつである といえるのです。


ちょっと気がつきにくい

  それゆえ大切な健康法であるかと思われます。


精を出す対象は 仕事にかぎりません。

いろいろな人間関係 趣味 遊び なにごとでも

  「本気」になってやる ・・・ ということですね。




 

出す ・・・ 1.ウンコを出しきる

2010-07-27 21:26:11 | Weblog
たかが便秘ぐらい と思うのは大まちがいです。


体外へ出して捨てるべき毒物 老廃物の一部を

  いつまでも体内にかかえているわけですから

身体面はもとより 精神面にも有害であること 当然です。


便秘というと聞こえはよい(?)が

ありていにいえばフンヅマリであって たいへん汚い話なのです。


フンヅマリでいて 気が晴れることはありえません。

便秘で 楽しい人生を送ることは不可能です。


排便は 日に一回(あるいはそれ以上)あることが正常ですが

毎日あるという人でも 完全に出しきっているとはかぎりません。

便秘気味の人は極力
 
  通じをよくするための工夫をすべきでしょうね。


「便秘は 出し惜しむ心の表れである」といわれ

精神分析学のフロイトさんも

「便秘はケチな心の表現である」といっているところをみると

「超合理の理」ともいうべきものが 語られているのかもしれません。

  (そういえば 便秘は男よりも はるかに女に多いようです)


ケチンボといっても 金銭や物質のことだけとはかぎりません。

出し惜しむ対象は ほかにもいろいろとありますね ・・・

  愛情 努力 献身 ・・・ などなど。


仕事や人間関係に気を入れないのも

  ひとつ大いなるケチというものにちがいありません。


「骨惜しみ」とは

  そのようなケチの心を表現した言葉なのでしょうね。






出して入れる ・・・ 健康法の基本

2010-07-27 17:00:12 | Weblog
生きものはすべて

「体のなかへ入れる」

「体から外へ出す」をくりかえしながら生きています。

飲食と排泄は その一例です。


健康法というと とかく

「入れる」ことばかりに心を傾ける傾向がありますね。


栄養の高いもの 精のつくものを食べる とか クスリを飲むとか。

そして 「出す」ほうには心が向きません。


これは片手落ちというものです。


「出す」ほうこそが むしろ重要なのです。

少なくとも 出すほうが先です。


「入れて出す」ではなくて 「出して入れる」が正しいのです。


そして 「出すべきものは出しきる」ことが

  健康の基本 その出発点となります。

出すべきものを出しきれば

  入るべきものは自然に入ってくるのです。

「快便」があれば 「快食」がそれにともなうように。


「出す」と「入れる」が正常に フル循環すれば

  生命力は充実し 精神的にもたくましくなります。


気が弱い人 ノイローゼ傾向の人は

「出す」にも「入れる」にも 異常や欠損があるはずですね。


「出す」ことがじゅうぶんでないと

  体が汚物 毒物をかかえて重くなります。

すると 心もまた汚れて重くなります。

  ・・・ 心身ともスッキリしないのです。






オロシガネ ・・・ 修業

2010-07-27 12:33:46 | Weblog
むかし ある画家の言葉です。


「 仕事はすべてオロシガネなんですよ。

  自分の仕事にこすりつけ こすりつけして
 
  最後に何が残るのか それとも 何も残らないのか。

  それを確かめたいんですね 」


「 私の本職は 画でも彫刻でもないんです。

  これらはみな 修業の手段にすぎないのです 」


自分という大根を仕事というオロシガネにこすりつける。

  ・・・ それが「生きる」ということだ と。

おもしろい !


気を入れて強くこすらなければ 大根オロシという作品は生まれません。

人生 どこへいってもオロシガネです。


どうせそうなら いま眼の前にあるヤツに

  全身全霊をぶっつけてこすりまくることですね。

その修業によって

  人として成長できてゆく ということなのでしょう。


この画家のいうように 仕事とはだれにおいても どんな仕事でも

  「修業の手段にすぎない」のかもしれません。


ならば 困難な仕事 ニガ手の仕事こそが

  ・・・ 修業をゆたかにさせてくれはずですね。







あの世この世というより ・・・ 現世快楽主義

2010-07-27 11:20:08 | Weblog
  あの世この世詮索だてをしょうより

     今日ただいま極楽にせよ


死んでから地獄へゆくの 極楽へゆくの そんなことをあげつらうより

  生きている今日の今を楽しい世界にせよ ・・・ といっています。



  極楽で百味の飯を食うよりも

     雑炊(ぞうすい)食って娑婆(しゃば)におりたい


日本人の現世快楽主義の面目 躍如たる歌 ・・・ ではありませんか。



  さて いかがお感じですか ・・・ 。






霊魂不滅といいますが ・・・ 仮りの世

2010-07-27 10:13:16 | Weblog
たしかに「人生は一場の夢」とは
 
  実感として抱きうる感慨ですが ・・・

夢ではあまりに頼りない ・・・
 


霊魂不滅という その永遠なる霊の世界はあるかもしれません。

しかし あるとしても確かめようのない話です。


それよりも 生きている今が大事じゃないですか。

そう 考えが地の上に戻ってきます。


とくに日本人のばあい

現世を楽しむ のがもともとのメンタリティーですから

  ・・・ どうしてもそうならざるをえませんね。

無常感に甘え おぼれていたら 働く気力もなくなります。


ヤマトダマシイが頭をもちあげる ・・・ というところでしょうか。



  仮りの世を仮りの世じゃとてあだにすな

     仮りの世こそはおのが世なれば


この世を仮りの世というけれど

  この世をのぞいて どこに我が世があるというのか。

だから

  この世をいいかげんに生きてはならん ・・・ そう説いています。


下の句 ・・・ とくにいい と思いますね。








ワビシイ歌 ・・・ 一服の良薬

2010-07-27 08:51:58 | Weblog
  来しかたも行方(ゆくえ)も知らずひとりきて

       ひとり消えゆくうたかたの夢


ずいぶんワビシイ歌で

いつもこんなことばかり思っていたら 気がめいってしまいそうです。


しかし こういう感じ方も人間的な心情の一面であるし

このセチがらい俗世でドサドサ バタバタ生きている身には

  たまにはこういう想いにひたってみることも 一服の良薬と ・・・


  ・・・ そう思って とりあげてみました。





二度と死なぬぞ

2010-07-27 07:54:26 | Weblog
白隠禅師の歌に

  若い衆(しゅ)や死ぬがいやなら今死にゃれ
     いちど死んだら二度と死なぬぞ

「死にたい」も「死にたくない」も
五尺のこの身を自分のものと思う
     ・・・ その我執から生じます。

その我執をいま放ってしまえ(今死にゃれ)という。
小我を殺せ ・・・ というわけです。

いちどそれをやってしまえば 死は超越できます。

超越できたら 生も死もありません。
生もよし 死もまたよし ・・・ ということになります。

「二度と死なぬぞ」は そういう意味でしょうね。





生きてゆくよりシャーナイ

2010-07-27 06:38:18 | Weblog
  自分までこんな不思議な人間に

       生まれてこようとは当てにせなんだ



人類とは 人に生まれたという運命を共有する 運命共同体である

  ・・・ と言えます。


どういう因縁によってか 自分もまたその一員である。

このへんのところに思考の原点をおいて

  ときには深く自己存在について思いをいたせ

          ・・・ 歌は それを求めているのでしょうか。


「自分まで」の「まで」に デリケートな味わいを感じます。



「当てにせなんだ」けれど 生まれたものはしかたがない。

  ・・・ 生きてゆくよりシャーナイ。


どうせ生きるなら

シブシブでなく よろこんで生きたほうが得 ということになりますね。





凍らない人生 ・・・ 2.金銭

2010-07-27 05:37:41 | Weblog
渋沢栄一翁はその子たちに

  いつもこう教えたといいます ・・・


「 金は働きのカスだ。

   機械が運転しているとカスがたまるように

  人もよく働いていれば カスがたまるものだ 」


人は要するに生きてゆければよいわけで

  むやみに金銭をためる必要はないのですが

水車の回転のように働いているうちに自然にたまるなら

  これまた大いにけっこうなことです。


翁の教えのポイントは

金銭は目的ではなくて結果に過ぎない ということです。


  ・・・ それが自然に「凍らない人生」を生み出すのですね。










凍らない人生 ・・・ 1.水車

2010-07-27 05:07:21 | Weblog
2010/05/27 エジプト 


  精出せば凍る間もなき水車


水車は 間断なく回転することによって

  氷にとじこめられる心配がないのだそうです。

すこしでも回転を止めると 厳寒のときには凍ってしまいます。

この水車になぞらえて 人の道を教えた句です。


人もまた たえず働き あるいは努力することによって

  凍ることがなくてすみます。

休止すると 凍る可能性がでてきます。

要は それさえ果たすなら 人生いかなる心配もありません。



凍るとは人の場合 経済的に窮することでもあれば

  精神的にゆきづまることをも意味しています。


どちらにせよ

凍りつかないで流れつづける人生こそが

  シアワセのそれである ・・・ ということですね。





長寿の条件 ・・・ 一生一事一貫

2010-07-26 18:30:28 | Weblog
とくべつの長寿者は例外なく

  すくなくとも つぎの三条件を満たしているようです。


1.飲食物の節制。

2.はたらくことが好き。

3.心が平和 クヨクヨ イライラしない。


1.と3.は常識的にわかることですが

  2.はあまり注目されない要件のようです。

だが 長生きの根本の秘訣は案外

  ・・・ このへんのところにあるのかもしれませんね。



  長生きはただ働くのほかになし

       流るる水のくさらぬを見よ



長寿者に共通することは

自分の生涯がそれにつながる仕事

  いわゆるライフワークをもっていたこと。

かつ 楽しみつつ これに取りくんできた ということです。


そこまで注目してはじめて

「流るる水のくさらぬ」という表現の味が

  よく理解できるというものでしょうね。


流れることは 水の本性です。

働くことは 人の本能です。


水は 一つの水路を絶えず流れます。

人においては 「一生一事一貫」というのが

  至福の人生であるらしい ・・・ です。


・・・ いま そんなことを考えてみました。