世界一周の記録

2006年8月から2008年9月まで2年1ヶ月の世界一周放浪の旅をしていました。その旅の記録です。

灼熱のラホールで干物になりかける

2008年05月06日 20時08分40秒 | アジア



インド、バングラデシュ、ネパール、インドと続いている南アジア周遊の最後の一カ国パキスタンにやって来ました。インドとの国境近くの町・ラホールです。人の顔や服装がインドとは違う気がします。インドも、ヒンドゥー色が強いリシュケシュと、シク教が多数いるアムリトサルで、随分と服装や雰囲気が変わりましたが、パキスタンは完全なムスリム国なので、さらに違った雰囲気です。男性はアラブ的な民族衣装を着ており、女性は布で髪の毛を隠しています。モスクからはアザーンが聞こえるし、街中ではケバブが回っています。

とまあ、パキスタンには、そういうインドとのテイストの違いがあるということなのですが、そんなことはもうどうでもいいくらいにラホールは暑いです。そして、暑いだけではなく空気も汚いです。その相乗効果による体力消耗度は、今年の1月に滞在したインドのコルカタに匹敵すると思われます。単純な暑さだけをとっても、過去訪れた国や町の中で最も過酷なような気がします。しかも、ラホールの厳しさはその程度では済みません。なんと、一日に8回も停電するのです。1回の停電は、1時間くらいなのですが、最大の問題は、その間、宿の扇風機が止まることなのです。8回の停電は、朝・昼・夜・深夜とまんべんなく振り分けられており、あらゆる時間帯で、酷暑の中、扇風機が回らない(ましてや冷房などありえない)、テレビもインターネットも使えない(気を紛らわせられない)、冷蔵庫も止まる(飲み物がぬるくなる)、そんな時間をただ日陰で極力体力を使わないようにしてじっと耐えるのです。汗をだらだらと掻きながら耐えるのです。扇風機が止まったことをいいことに集まってきた蚊に刺されて、さらにイライラが頂点に達しようとも耐えるしかないのです。

余りにも暑いので、いったい何度くらいあるのかインターネットで調べてみると、その日の最高気温が42度で、最低気温が35度でした。そりゃ暑いわ・・・。しかし、それにしても、最低気温が35度とは。確かに夜の寝苦しさが尋常ではないと思っていましたが、それほどとは。実際に数字を見て、さらに暑さがひどくなったような気がしました。

こんなラホールなんてとっとと出て早く次の町に移動したかったのですが、そうもいかない事情があったのです。毎週木曜の夜にスーフィー・ナイトというイベントが、ここラホールであるので、それを見ないといけないのです。エジプトのカイロや、トルコのイスタンブールでもスーフィー・ダンスは見れたらしいのですが、僕は諸々の事情により見逃していたのでした。トルコのスーフィーダンスを見た人は、「あれはすごい。」と絶賛していました。ところで、スーフィーが何かというと、実は僕も良く知りません。ガイドブックによると、イスラム神秘主義がなんとかかんとか、と・・・。まあ、とにかく、スーフィーをラホールで見るのは、前々からの楽しみだったということなのですが、ラホールに着いたのは土曜日なので次のスーフィー・ナイトまではなんと5日間もここで待たなければいけないのでした。。。



そして、やはり、この暑さの中、僕は体調を崩したのでした。スーフィーまで後3日となった月曜日の夜、扇風機の強風に至近距離から当たりすぎたため、喉が痛くなりました。鼻水も出るし、どうやら風邪を引いたみたいです。翌日、日中いつもは屋上の共有スペースで他の旅行者達とだらだらとして過ごすのですが、この日は仕方なく、ほかに誰もいないドミトリーのベッドに1人寝転がり、体力の回復を図りました。しかし、これが間違いでした。扇風機が回っている間はまだいいのですが、停電が起こると、ドミトリー内は窓から差し込む強烈な日光による温室効果により恐らく42度を超える気温になるのです。50度を超えていたかもしれません。全身から汗が吹き出て、意識が朦朧とし、体を動かす気力が無くなりかけました。その時、僕は「このままでは干物になる。やばい。」と思い、ふらふらになって部屋の外へ脱出したのでした。そして、風邪を引いて弱っていた僕の体は、温室効果の高温により当然のように発熱したのでした。
親切な他の旅行者達に病状を訴えると数々の薬をもらえました。また、下の階の全く日が当たらない代わりにそこそこ涼しい部屋に移動することができ、そこで薬を飲んで2日間じっと何もせずに寝転んでいると、いつのまにか熱は下がりました。それにしても、ラホールの暑さは殺人的です。

木曜日の夜には外出できるくらいまでは回復でき、めでたくスーフィー・ナイトへと向かうことができたのでした。そして、そこまでして待ったスーフィーは予想とは随分と違うものでした。それは、神秘的な儀式などではなく、華麗なダンスでもなく、せまいスペースにおっさん達や若者達が男ばかりでぎゅうぎゅう詰めになってマリファナを吸いまくりキマリまくり、激しいドラムの音をただ延々と聞きトリップするという、なんとも不可思議なものでした。夜の9時半から深夜まで、ただ同じことが延々と繰り返されました。激しいドラムの音とマリファナを吸いまくりキマリまくる男達。なんて、むさくるしい・・・。全然終わる気配がなかったので、僕らは12時半くらいにそこを出て宿に戻りました。
期待していたものとは全く違うものが見せられたけど、これはこれで6日間も暑さに耐えて待っただけの価値はあったなあと思いました。異様なバイブレーションがあの場を支配していたのは間違いなかったし、それはあれ以外の場所ではなかなか感じることのできないものだったような気がします。(”しょぼかった”と言ってしまうとなんか負けたような気がするので、強がりを言っているだけかも・・・)

スーフィー・ナイト


ラホールで宿泊したのはリーガル・インターネット・インというラホールを訪れる各国のバックパッカーは必ず泊まると言われるほどの宿です。いろんな国籍の旅行者が集まっていて楽しかったです。噂では、ラホールの安宿はここ以外、どこも泥棒宿かホモによるレイプ宿として恐れられており、ここくらいしか選択肢がないらしいので、みんな集まってくるらしいです。それにしても、ホモによるレイプ宿って・・・。そんな噂の立つ町は世界でもここラホールだけでしょうな。



パキスタンではなぜか手相占いが流行ってました。

僕が泊まった宿のオーナー・Mr.マリック氏も、宿泊客相手に怪しげな手相占いをしてました。

ラホール最大の観光名所・ラホール博物館にある”断食する仏陀像”

凄まじい迫力でした。骨と皮だけになっても背筋をきちんと伸ばし、真っ直ぐに前を睨み付け、涅槃の境地を追い求めているシッダールタ。気迫が直に伝わってくるようです。

鶏肉を焼くおっちゃん二人


灼熱のモスク。





現在は、パキスタンの首都イスラマバードからわずか15kmの町ラワールピンディーにいます。ここで、日本からの新キャッシュカードの受取待ちをしています。ついでに中国ビザもここで取れたら取りたいと思っています(状況は厳しそうですが)。暑さが、ラホールよりも幾分マシなので、良かったです。それでも日中は40度近くいっていますが。。。